第1部3「運は天に在り 手柄は脚に在り」
その三「運は天に在り 手柄は脚に在り」
正午を過ぎるとこの合戦の帰趨は決する。
両軍双方八万前後が集まった関ケ原の舞台も小早
川秀秋一万五千の寝返りは、そのバランスオブパワ
ーを崩すに充分なものであった。
午後一時を過ぎても互角に戦う西軍は家康本陣正
面4キロの天満山付近に布陣する島津義弘とその島
津隊と北国街道を挟む笹尾山に、家康本陣から見れ
ば斜め右前方5キロに布陣する石田三成の部隊のみ
であった。
兵員は島津一千、石田六千。
「忠勝、たった一千の島津が何でまだ崩されてい
ないのだ。宇喜多も小西も退却しておるのに。」
「島津を攻めておるのは、直政と忠吉様ですな。
六千以上はおるはず。娘婿の忠吉様にお怪我でもあ
ればと己の将来も考えて、直政のやつ戦の振りでも
して時間つぶしをしておりますな。戦争ごっこで暇
つぶし。」
「お前は直政が本当に嫌いだな。」
「もう大嫌い。わしより、頭が良くて顔が良い。
政治力もあるし忠誠心をひけらかす芝居もうまい。
演技力抜群。さらに、あやつは三河者ではない。遠江
の者。それにあやつの家臣の大半は武田家滅亡後、大
殿が召し抱えた旧武田家家臣団。うさんくさい臭いプ
ンプン。三河者といえば木俣守勝だがあやつも、わし
より、頭が良くて顔が良い。」
「忠勝。お前はわんぱく駄々っ子おやじか。確かに
わしは三河に生まれお前たち家臣に支えられここまで
来た。三河武士はわしの宝だ。しかしな三河だけが日
本ではない。他国者でも平等に登用せねばならんのだ。
お前も他国者を家臣にしているではないか。直政の場
合、数が多すぎるだけだ。」
「アーウー、アー、……とにかく、わしより、頭が
良くて顔が良いやつは嫌いなんだよぅ。」
傍らで聞いていた井原正英は忠勝のいつものわんぱ
く駄々っ子おやじぶりに、おかしくて吹き出しそうに
なるのをこらえていた。
その正英に忠勝が、正英の背後に立て掛けてある蜻
蛉切 (とんぼきり)を取ってくれと声をかけた。
蜻蛉切は御手杵 (おてぎね)、日本号 (にほんごう)
とともに天下三名槍 (てんかさんめいそう)といわれ
た2メートル50はあろうかという長槍である。
普段の忠勝は1メートルほどの槍を寝るまで離さな
い人間だが合戦場ではやはり蜻蛉切なのだ。
正英から手渡された蜻蛉切を忠勝は右手に持つと頭
上で一旋し、家康に声をかけた。
「直政とあんたの息子じゃ、らちが明かん。島津に
手間取り三成の首にあやつらは手が届かんがな。黒田
長政、細川忠興、加藤嘉明など今、三成を攻めている
のは他家ばかり。三成退治に行って参る。」
と言い踵を返した忠勝を家康が制止する。
「待て、おぬしの兵はわずか五百ぞ。死ぬぞ。」
「騎馬三百、鉄砲百五十、足軽五十だ。鉄砲隊は残
す。」
「行くな、危険すぎる。」
「日本のため平和のため民のため徳川のため、家康
様のために。し、ね、る。」
と片眼をつぶってお茶目に言い、
「それと。」
と付け加えた。
「それと何だ。」
家康が問う。
「本多忠勝とわしが鍛えた兵をなめるなよ」
「おめぇ。」
言うが陣を去り、井原正英も家康に一礼し後を追う。
一人残された家康は、
「確かにな。忠勝はじめ本多家の奴って、人間離れ
してるの多いもんね」
と納得気につぶやくのであった。
自身が陣に戻った忠勝が、
「集合」
と声を出すや、一瞬に隊列が整う。
縦に騎馬、足軽、鉄砲の順。
「雑賀孫六は」
「おう」
「島津、石田の状況」
「現在、島津5百そのうち鉄砲三百騎馬二百、石田
二千五百鉄砲六百、さすがに朝からの激戦、人数へる
もそれぞれ士気旺盛」
雑賀孫六は日本一の鉄砲傭兵集団といわれた紀州雑
賀党頭領、雑賀孫市の実弟であり鉄砲、剣術、拳法の
技に優れ、1585年3月の秀吉の紀州征伐で雑賀党
壊滅後、諸国放浪中の1590年、同年家康の関東入
国に伴い大多喜藩、現在の千葉県大多喜市に十万石で
封じられた本多忠勝と出会い、その家臣となった。
忠勝はお耳役という情報組織を創り、その頭に孫六
をあてた。
お耳役はわずか10名の小組織だが本多家中、旧雑
賀衆、大多喜の民の中から孫六自ら選んだ拳法の達人
集団でもある。
騎乗のままの孫六の報告を聞いた忠勝は
「孫六、急ぎ直政の陣に行き、直政様と忠吉様の助太
刀に主人忠勝、今から島津勢に突撃いたす、と述べよ。
その後、おぬしは笹尾山に向かう我が部隊に参加せよ」
「笹尾山は三成では」
と孫六が首をかしげると、
「わからぬか。」
と忠勝が口元を緩ませた。
即座に孫六はポーンと手を打ち、
「なるほど。直政様と忠吉様の助太刀に主人忠勝、
今から島津勢に突撃いたすとの口上、伝えに行きます
る」
孫六は直政の陣に急行した。
忠勝の傍らの正英が口を開いた。
「わかりませぬが…」
「まーさひでー、お前は本当に馬鹿だな。自分で考
える力がないのか。我らから見て正面に島津、島津の
右後方、北国街道を挟んで、笹尾山に石田。石田に突
撃すれば我が騎馬隊の側面を島津にさらすことになる。
しかし迂回する暇無し。鉄砲三百のうち百でも我が側
面にまわされ一斉射撃あれば、壊滅的打撃ぞ」
「わかった。そこで殿の名を告げ、功名心の異常に
強い直政様を刺激し、島津を本気で攻撃させるんだ」
うれしそうに正英が叫んだ。
「さすれば島津に兵をまわすゆとりなし。」
と正英は小声で続けてうなづいた。
忠勝はその挙動を無視し、諸隊全員を見渡す。
忠勝の眼の血走りに全員が緊張する。
「今より、笹尾山の石田三成公の本陣に突撃する」
「梶と筑紫」
「おう」
「梶は突撃隊の副将、筑紫は残り、鉄砲隊を指図せ
よ」
「了解」
梶金平 (かじ きんぺい)と筑紫秀綱は本多家を長年
支えてきた武将である。
さらに筑紫には、
「我が陣は家康様本陣を守る旗本衆の前面にある。
もし敵、来襲せば玉砕の覚悟で旗本衆に敵の影さえ見
せぬように奮戦せよ」
と下知し、足軽隊には、
「騎馬の後を人力で駆けるは大変だが、騎馬隊が倒
した敵兵の首級をあげるのを今日の仕事としてくれ」
と優しく言葉をかけ、最後に大音声を発した。
「千年の平和のため、三成公の首、頂戴に参る」
「運は天に在り。鎧は胸に在り。手柄は脚に在り。」
「天地都在我心中(天地全て我が心の中に在りという
意味で、此の時忠勝はテンティツゥザイウォシンジョン
と中国語で発音したと伝えられている)」
「テンティツゥザイウォシンジョン」
部隊全員が唱和する。
「わしに続け、アッチョー」
忠勝が愛馬三国黒に鞭をいれ凄まじい速さで駆け出
すと、突撃隊が巨大な塊となり忠勝を追った。
正英も十年来の大合戦に身震いしながら馬を追った。
この本多家のもの全員が俺と同じに大多喜にきて以
来、平和の味をかみしめてきた。
その間、忠勝様は毎日のように我らを鍛えられた。
それはこの日を予感されていたからだ。
家康様は先ほど、
「この戦は平和の門を開けるため」
と言われたが、我らの進撃は、平和の門を完全に開
け、決して閉じさせないためだ。
正英はその観念が心の底から噴出してくるのを感じ、
さらに強く馬に鞭をいれるのであった。
以下その四に続く
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