第1部関ケ原激闘編27「島津の墓碑銘」
その刹那、何と長寿院たち五名は、一斉に腹を
切り、頚動脈を掻きったのだ。
木俣守勝たちが駆け寄った時には、全員虫の息
である。
長寿院を島津義弘と思い込んだ木俣守勝は、
「島津義弘様、見事なお最期」
と長寿院に声をかける。
「地獄の酒盛りは、仲間同士でないと、酒がまず
くなるからな」
長寿院はそう言うと、笑いながら絶命した。
凄烈なる島津の死に様に感動し、木俣守勝は大
声を挙げた。
「これが武士だ。わしは武士を見たのだ」
木俣守勝の家臣団も声を挙げる。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
「美しい死だ」
「見事というしかない」
賛美の大合唱となった。
しかし、その賛美の背後から、
「何を、大騒ぎしておる」
と怒鳴り声が聞こえた。
全員が振り向くと、その声の主は井伊直政であっ
た。
木俣隊に井伊隊が追いついたのである
「殿、島津義弘様は御自害なされました」
木俣守勝が報告すると直政の顔が緩んだ。しか
しすぐ不機嫌そうな顔になった。
木俣守勝が島津義弘という死骸はどう見ても島
津義弘ではないのだ。
「守勝、お前は私を愚弄したいのか」
ビシッ…直政は手に持っていたムチで木俣守勝
の前頭部を、力任せに叩いた。
木俣守勝の額の上辺りから出た血が、鼻から顎
にかけてにしたたり落ちてゆく。
「この者の、どこが島津義弘だ。私が島津の顔を
知らぬと思ったか」
「いや、島津義弘と確かに申しましたが」
木俣守勝が直政に反論するや、さらに木俣守勝
の頭にムチが飛ぶ。
「顔も知らぬ者の言を、信じる馬鹿がどこにいる」
直政の追及に木俣守勝は、うなだれるしかなかっ
た。
すでに顔は頭から出る血で真っ赤になっている。
「もういい。馬鹿に付き合う暇はない。行くぞ」
いうや直政は馬を駆けさせていった。井伊の騎
馬隊が後を追ってゆく。
馬の立てた土煙の中に残されたのは、木俣守勝
とその家臣たちである。
すぐに家臣の一人が、己の着衣を裂き、包帯代
わりに木俣守勝の頭に巻く。
他の家臣は、木俣守勝の血だらけの顔を、己の
持つ布でふいてやる。
「わしが至らぬばかりに、直政様を怒らせてしまっ
た。本当にわしは、馬鹿で情けない、早とちりの
人間だ」
木俣守勝は、主 (あるじ)を心配そうに見つめる、
家臣たちに語りかけた。
「島津義弘公を逃がそうと、己を犠牲にした者に、
だまされたことは、わしの恥であり、井伊家家老
として直政様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」
「しかし、主君のために己の死をも辞さない、こ
の者たちの姿は、我らが見習うべきもので、卑し
むべきではない」
と言い、木俣隊80名のうちの半分に、ここに残
り、死んだ島津兵を路傍に、一人一人、丁重に埋
葬するよう指示し、あとの半分に島津追尾のため
の乗馬を命じた。
騎馬隊の先頭に立った木俣守勝に、弔いの兵か
ら声がした。
「殿、島津の方々の名が分かりませぬが、墓碑は
如何にしましょうか」
数秒、顎に手をあてて考えたのち、木俣守勝は言う。
「島津義士の墓、と刻むべし」
以下二十八に続く