第1部関ケ原激闘編23「真の武士」
「どうじゃ、逃げるは恥ではない。生きて島津のために尽くせ
ばよい」
忠勝はさらに言葉をかけた。
聞いている豊久も敵からこのような情けある言葉を聞こうとは
思わず、意外の感に打たれていた。
先刻まで己の命を奪おうとした人間に、優しき思いを見せる、
本多忠勝とは、どういう人物なのか。本多忠勝という名は知っ
ている。
主人の徳川家康さえ恐れる武勇の士…しかし、今、眼の前にい
る人物は単なる武勇の士ではない…真の武士…冥土の土産に良き
人物に出会えた…。
豊久は、刀を握った両腕を右斜め後方に構えるや、忠勝に向か
い走り出した。
「本多家、井原正英」
名乗りを上げながら、正英が豊久に向かっていった。
正英の剣技は居合い抜きである。
居合いは己が斬られる寸前まで、刀を抜かず斬られる寸前に、刀
を抜き相手を倒す技である。
豊久は迫り来る敵が、抜刀しないことで、居合い抜きとわかり、
ならば相手の右手が刀にかかる瞬間、その抜き手を斬ろうと考える。
両者が最接近し、正英の右手が動いた時、
「ちぇすとー」
豊久の裂帛の気合とともに、右斜め上段から正英の
右手に刀が振り下ろされた。
ズドーン…火縄銃の音がして、豊久の体は吹き飛ばされ、忠勝
の足元に転がった。
目標が突如消え、正英が眼にも止まらぬ早業で抜い
た刀は、空気を切り裂き、即座に鞘に納まる。
すぐに正英が振りかえると、背中を打ち抜かれ、地面に倒れ伏す、
敵の姿があった。
「お前という人間は」
忠勝が前方を指差しながら絶叫した。
正英はその方角を見た。
そこには、馬上で火縄銃を片手に、冷笑する井伊直政がいた。
以下24に続く