第三部江湖闘魂完結編二〇二「一歩十蔵の話」
第三部江湖闘魂完結編二〇二「一歩十蔵の話」
孫六も三成も構えを取ったまま、動かなくなった。
両者は互いに、相手の力量を認め、その創意を警戒したのである。
(三成はただの文弱ではない。俺に発している気は、武術家のものだ。
いったい何派であろうか。算盤を使う流派など聞いたことがないが、
久しぶりに真の達人との真剣勝負ができることは、確かだ。そう二
十数年前に美里拳論会で竜雲和尚と戦って以来だ。忠勝様や正英と
は真剣勝負はあるはずがない。しかし、この長い歳月は俺の技を鈍
らせたかもしれない)
孫六は、己と同レベルの相手との勝負を長年してこなかったこと
に、不安を感じていた。
自分の側から動くことができなくなっていたのだ。
三成の後方から、彦根の手勢が五十名ほど迫ってきている。
(これが雑賀孫六か。噂通りの武術家だ。その気は、充溢してわしを
も飲み込みそうだ。力は互角か、わしが劣るか。いずれにせよわし
は無事ではすみまい。しかし、「実力は論理だが、勝負は思想であ
る」ともいう。最終的には勝負に対する考え方の違いが衝突するだ
けだ。そして相手の思想が読めぬ最初の戦いでは、相手を一撃で倒
す速ささえあれば、思想戦に持ち込む必要もない。速きこと風の如
く、静かなること林の如く、攻めること火の如くして、動かざるこ
と山の如しというが、この「風林火山」の言葉は、孫六のためにあ
るような言葉だ。ならばわしにも、石田流算術爆裂玉がある。相手
が、林となり山となるなら、わしは火のような速さで奴を攻めれば
よい)
三成は勝算を得たと感じた。
その時、三成の背後から、
「石田様、御加勢仕る」
と声が挙がった
刹那。
三成の算盤から無数の算盤玉がゆっくりと離れ、突如凄まじい速
さで孫六を襲った。
爆裂玉である。
一瞬、孫六の顔面を穿つと思われた爆裂玉は、孫六の鼻先で止まっ
たかのように、空中に浮いた。
孫六が三成にやや遅れて放った海風撃底掌 (かいふうげきていし
ょう)が、爆撃玉の電瞬の侵攻を顔面直前で防ぎ、三成の気と孫六
の気が衝突した結果として、爆裂玉を宙にとどめさせたのだ。
海風撃底掌とは、己の気の破壊的エネルギーを相手に向かわせる
ものである。その点では、お香の夕波十八掌と同じものだが、お香
のが気を気玉としてそのまま送るのに対して、撃底掌は風となって
相手を攻めるのだ。その風速は百メートル。海の交易に秀でていた
雑賀衆の船でさえ、その技に当たれば、海の底に沈むしかないとい
う必殺技。
三成は己の玉が空中にとどまるのを見て、呆然となったが、すぐ
にさらなる気を玉に送った。
孫六もその気の圧力を感じて、顔面を紅潮させながら、全身を硬
直させて、気を送る。
数秒の後に、徐々に爆裂玉が三成の方に戻ってゆく。
爆裂玉が、孫六と三成の中間点まで押し返された時、「ウウーッ」
と三成はうめき声を発し、顔中に血管を浮かび上がらせて、最後の
力を振り絞るかのように、手に持った算盤を孫六に投げかけた。
算盤と爆裂玉が一体となって海風撃底掌が巻き起こす風を押さえ、
海風撃底掌の前進を阻んだかに見えた。
その瞬間、「バーン」と大音がして、算盤と爆裂玉は粉々に飛び
散り、三成の体を暴風が直撃した。
一瞬のうちに三成は、吹き飛ばされ、はるか後方の建物にしたた
かに体を打ちつけた。
三成の助勢に来た彦根藩の者どもは、後方に飛んでゆく三成の姿
に眼を奪われたが、すぐに気を取り直し、全員が抜刀して孫六に襲
い掛かろうと振り返った時、孫六の姿は涼単寺から消えていたので
ある。
「孫六様が海風撃底掌を打ったのか。見たかった」
井原正英が言うと、一歩十蔵も「それはわしも同じことだ。孫六
様からその時のことを聞いただけだからな」と残念そうである。
ふと思い出したように、正英が、
「三成の放ったという算盤玉は、関ヶ原の合戦で三成の本陣に斬り
こんだ本多の侍たちの死体に打ち込まれていた算盤玉(第1部関ケ原
激闘編十四「算盤玉の怪」参照)と関係があろのでは」
と十蔵にたずねた。
「関係ある。孫六様も知らなかったのだが、三成が生れた近江石田
村には、石田流算術爆裂玉という大技を使う武術の流派があるのだ。
おそらく三成はその武術を会得していたのだ」
十蔵が正英に教える。
「孫六様の強さは、わかったけど、なぜ良之介はこの「かいなん」
にいないのか、まだ話をしてないよ」
お香が不服そうに横槍をいれた。
二〇三話に続く