江湖闘魂完結編二〇一「石田三成対雑賀孫六」
第三部江湖闘魂完結編二〇一「石田三成対雑賀孫六」
十蔵は石段を降りたところで、地面に横たわっている人影を見つけた。
注意深く近寄り、眼を凝らすと、それは先を急いでいた勘太の変わり
果てた姿だった。
体中に算盤の玉が食い込んでおり、一部は貫通したのか穴があいてい
る。
眼を上げて前方を見やると、十メートルほど先に一人、僧侶が立って
いた。
「お前が、やったのか」
十蔵が問いただすと、僧侶は暗がりの中で、はっきりと微笑んだ。
十蔵は僧侶に向かおうと、体が動く。
その時、
「逃げろ。相手は強いぞ。俺に任せろ」
孫六の声が背後から飛ぶ。
その声が終わらぬうちに十蔵の姿は、この場から消えていた。
「ほーっ」
十蔵の早業に、僧侶は感嘆の声を低くもらした。
瞬間、雲に隠れていた月の光が現れ、僧侶の顔をくっきりと浮かびあ
がらせた。
額が大きく、ややつり上がった眼に、薄い唇の顔。
孫六は、遠い記憶をたどった。
二十年ほど前、秀吉の使いとして何度か雑賀を訪れたことのある男。
秀吉の権威を笠に着て、高慢な物言いをしていた男。
すぐにまた、月は雲に隠れた。
意を決したように孫六は、
「石田三成様でございますな。人の眼はごまかせても、月の光はだまさ
れませぬぞ」
と丁重に確認の声をかけた。
「粋なことを言うではないか。わしの顔を知っているのか。わしはその
方の顔に見覚えはない。ただし、おぬしの発する気は大いに感じている。
武術家の妖気だ。岩をも砕き、山をも動かすほどのな。この寺をかぎま
わる本多の犬が先ごろ来たが、おぬしも犬の一人であろう。といっても
犬は犬でも狼に近いかも知れぬが。本多家最強の男といえば、お耳役の
元締め雑賀孫六となるか」
孫六は、己の身分や名前を言い当てられたことに、少したじろいだ。
(なぜ俺の名を。やはり本多家に間者がいるのだ。しかし、誰だ。それも
この三成を拉致すれば、わかるだろうが)
「何も言わぬところをみると、やはり孫六か」
「そうだ。別に隠す必要もない。ここであなた様を確保させていただく
のだから」
「そう簡単には、参らぬぞ。おぬしが相当の使い手であることは認めよ
う。実力のほどは、おぬしの気からわかるし、何せわしが選んだ待ち伏
せの者どもを全て倒したのだからな」
「見てきたようなことを言うな」
「おぬしのあとを、あやつらが追って来ぬのがその証拠」
三成は冷静である。
(さすがは石田三成。天下分け目の大決戦を家康様に仕掛けただけのこ
とはある。この俺と対峙していれば、普通なら及び腰に常人ならなるの
に、こいつは颯爽としている)
孫六は己の技を使うより、理で三成を説得したくなった。
このような人物に傷を負わせたくないのだ。
「三成様、民に平和な暮らしをもたらすには、今の日本に家康様が必要
とお思いなさらぬか」
「家康は日本を平和にする力が誰よりもある。それがわからぬわしでは
ない」
「ならば、三成様も家康様に尽力願えまいか。関ヶ原でわずか十八万石
のあなた様が豊臣を思い、三百万石の家康様と大決戦をしたのは見事の
一語でござる。君は民の源。源清ければ流れ清く、源濁れば流れも濁る
といますぞ。国家の政を司るは、民のためであって、家門の繁栄は二義
的なこと。豊臣の忠に生きるか、民の忠に生きるか、思案すべきは今で
ござろう」
「おまえの忠告は家康の入れ知恵か。笑わせるな。家康のどこが清い。
くされ外道 (げどう)だ。しかし、豊臣の家などを守るつもりもない。わ
しは豊臣の名を利用して、天下を狙うために関ヶ原を戦ったまでだ」
三成は、関ヶ原のことを言われたのが癪 (しゃく)にさわったのか、先
ほどまでの落ち着きがうそのように孫六に毒づいた。
「そこまで本音を言われなくても」
「良いのだ。どうせお前はこれから死ぬのだ。あの世で秀吉様にわしの本
心を語ってきかせよ」
三成の眼が異様に光った。
「三成様、わたくしは、そう弱くはないですぞ」
「月がわしの顔を照らしてもおぬしを照らさぬのは、死に逝く者を照らし
ても無意味と月も知っているのだ」
三成の言に孫六はすばやく言い返した。
「いえ、月はあなた様の悪しき心を見通して、その恐怖から雲の間に隠れ
たのです」
三成は孫六に反応せずに、若干、左足を後ろに引くと右手に持った算盤
を前方にゆっくりと突き出した。
孫六もその動作に応じるかのように自然体になり、息吹をして、体内の
気を活性化していった。
雑賀海王拳の奥義、海風撃底掌 (かいふうげきていしょう)の準備をとと
のえたのである。
第二〇二話に続く