江湖闘魂完結編二〇〇「武術家 雑賀孫六の荒技」
江湖闘魂完結編二〇〇「武術家 雑賀孫六の荒技」
一六〇二年十一月十三日午後十時、彦根。
お香たちが彦根を出立した夜のことである。
午後十時ともなると、涼単寺境内の三門も閉められ、人影一つない。
その暗闇にどこから忍び入ったか、四人の覆面姿の者が、庭道を通
り墓地に続く石段を上がっていく。
孫六とその配下の与平と勘太、そして一歩十蔵である。
井伊直政の墓を暴き、その骨を桑名に持ち帰り、毒殺か否か、忠勝
にその骨の鑑定を頼もうと考えたのだ。
もちろん、石田三成に似た僧侶を拉致することも。
おぼろに観音堂の甍が見え、画然と鐘楼の影が浮き上がっていた。
孫六は普段とは違い、気迫を露にして先頭を進む。
彼らが石段を登りきった時、頭上の聳え立つ樹木から音もなく降り
立った僧侶がいる。
右手にはなぜか大き目の算盤が握られている。
その算盤が鈍く光ったのだが、孫六らは気づかず粛々と進み続けた。
彼らの後を音もなく附けている人物は、算盤玉を四つ動かした後、
人数の確認をして、その場にたたずんだ。
直政の墓に至る最後の道は、道幅が狭く一人がやっとである。
細い道を一列になって進む。
その細い道を抜け出すと数メートル先に直政の墓が、孫六らの眼に
入った。
その時。
闇の中から青白い光を放ちながら、二本の槍の穂先が孫六に向かっ
てきた。
孫六は頭上高く飛び上りその攻撃をかわしたが、「うっ」と孫六の
後に続いていた与平がうめき声をあげ、口から血を吹き出しながら倒
れこんだ。
孫六は与平にかまう事無く、槍を繰り出した二名の背後に降り立つ
と、回し蹴りを一閃させた。
孫六の蹴りを首に受けた二名はそれぞれの首を体からもぎ取られ立
ったまま絶命する。
その孫六に四名の新手が抜刀して向かってくる。
「曲者」
思わず叫んで上段から切り込んできた者の顔面を孫六の右正拳が襲
い、「グシャ」という鈍い音とともにその者の顔面はくだかれ、ヨロ
ヨロと孫六の傍らに倒れた。
孫六の凄まじさにひるんだ三名に、容赦なく孫六は六連続の飛びま
わし蹴りを食らわした。
三名は体のいたるところを喪失させながら、苦悶の表情を浮かべる
暇なく死んでいく。
地面に降りるやそのまま飛び跳ねた孫六は、眼に入った三名の人影
の背後に回り、その際に一名の頭を蹴れば、その者の頭は首ごともげ
て、ゴロリゴロリと頭が転がっていく。
背後に立つ孫六に切りかかろうと振り向いた二名の肺腑を孫六のそ
れそれの正拳がえぐった。
孫六の右手は一名の背中を貫いて止まり、左手も同じくもう一名の
背中を貫く。
孫六が両手を敵の者どもから抜き取ると、静かに二名の者は背後に
倒れていった。
体中を血だらけにした孫六が前を見ると、一歩十蔵が瞬きをするほ
どの間に三名の敵のみぞおちに当て身をくわせて、三名が同時に失神
していく。
すでに敵の気配がないことを悟った十蔵が、
「やり過ぎですぞ」
と孫六に苦言を呈した。
「ここまでやる気はなかったのだが」
孫六は血の海の中に横たわる無残な死体を眼にしながら、己の力に
己自身がおびえたような声で答えた。
孫六も十蔵と同じように、敵を失神させればよいという位で技を出
したはずであった。
それだけに己の意図以上の打撃力に、己自身が空恐ろしさを感じた
のだ。
第二部百二十三話から百二十五話で述べたように孫六は、二度の牛
化により「牛並み」になった。天下無双の武術家雑賀孫六に牛並みの
力が与えられれば、孫六はわずかの力を使ったつもりでも、相手に与
える衝撃は人智をこえたものがあることになる。しかし、そのことは
孫六も誰も知らない。
「とにかく逃げましょう。我らの動きは察知されていたのです。明ら
かに待ち伏せされていたのです」
十蔵の声掛けに孫六も大きく頷く。
「与平と勘太は」
孫六は二人を気遣う。
「与平は死にました」
十蔵が言う。
しばし黙想して後に、孫六は細道に向かいながら、
「勘太」
と呼ぶ。
「はい」
消え入るような声で勘太が応じた。
勘太は、想像を絶する孫六の荒技にたじろぎ、細道の途中に立ち竦
んでいた。
「生きていたか、良かった。逃げろ」
孫六が、命ずると勘太は急いで、今来た道を走りだした。
孫六と十蔵も勘太のあとを追った。
大き目の算盤を力強く握る僧侶が待ち受けている、石段に向かって。
第二〇一話に続く