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琵琶湖伝  作者: touyou
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第三部百九十三「青影神社の宮司の娘」

第三部江湖闘魂完結編百九十三「青影神社の宮司と娘」


 一六〇二年十一月十六日、その日の午後に井原正英は堅田

に到着し、その夜に烏丸少将成幹は冥界に去ってゆくのだが、

その日の夜明け方、まだ成幹が命を保っていたころ、近江の

国高島青影神社の宮司、真島仁斎 (ましまじんさい)の娘にし

て巫女の今年二十三歳になる浪路 (なみじ)は、霊夢を見たの

である。

 青影神社は、堅田より湖岸を進み二十五キロの北方の高島

にあり、湖中の大鳥居を正面にして、海辺と見まがう砂浜を

有し、その砂浜と道を挟んで本殿がある。その建立の年は不

明だが、古事記や日本書紀にも記述があり、日本最古の神社

の一つである。



 冷たき風が吹きぬけてゆく琵琶湖の湖面から一頭の白馬が

現れ、湖面の鳥居を抜けて、浜から道にあがった。

 前足も後ろ足もスラリと伸び、全身は筋肉の鎧で包まれて

いた。

 浪路は本殿に向かうための長い階段の途中に巫女姿で立っ

ている。

 白馬は、蹄 (ひづめ)の音を殺すかのように、静かに静かに

浪路の許に向かってゆく。

 白馬の大きな瞳からは、青白き光が出ている。

 その光に誘われるように、浪路は降りてゆく。

 馬の首が彼女の上に伸ばされた瞬間、馬は消え、その代わ

りにころころとお数珠 (じゅず)につけられているような大

きさの玉が一つ、階段を転がり落ちていった。

 浪路が、その玉を拾おうと降りてゆくと、突如現れた猿が

その玉を拾い飲み込んでしまう。

 五十センチほどの小猿であったのが、玉を飲むや百五十セ

ンチほどの大猿に変身した。

 浪路が、「アッ」と叫ぶと、大猿は不気味な笑いをし、よ

だれを垂らしながら浪路を目指しあがってくる。

 浪路は大猿に立ち向かおうとするが、なぜか金縛りにあっ

たように体が動かなくなり、大猿が浪路を抱きすくめようと

したとき、浪路の背後から前方の猿と同じくらいの大猿が現

れて、浪路を襲う猿を突き飛ばした。

 突き飛ばされた猿はそのまま階段に体を打ち付け打ちつけ、

落ちていった。

 落ちてゆく猿の体から、さっき飲み込んだ玉が体外に吐き

出された。

 その玉を、浪路を助けた猿は、飛翔して空中で受け止め、

降り立つや青い布で丁寧にふき、右手で玉を持つと浪路の眼

前に近づけた。

 漆黒の色をした玉だが、ランランと輝く文字が人間の血の

ような色をして、浪路の眼に飛び込んできた。

 円形のなかに北南東西の順で「永楽通宝」と書かれていた。

 浪路がその四文字をしっかり見届けるのを確認すると、玉

を持つ右手を大きく南側に伸ばし、それから琵琶湖のほうに

体を向けると玉を投げた。

 キラキラと光りながら、玉は湖中に落ちていった。

 その後、大猿は階段を下りて行き、道から砂浜へ、そして

湖面を歩いて大鳥居付近でその姿を消した。


 翌朝、眼を覚ました浪路は、境内の落ち葉を掃いていた父

に、夢の内容を語った。

 父仁斎は、掃除の手をとめることなく、浪路にも手伝うよ

うに指示して掃除を終わらせたあと、琵琶湖の見える境内の

手ごろな岩の上に座り、横に立った娘に言った。

「まさに霊夢だな。お前はわしにはない、霊能力がある。助

けにきた大猿は恐らく、この青影神社の御祭神、猿田彦命(

さるたひこのみこと)であろう。古事記によると、神々が高

天原からこの国土に降る道の途中に、四方八方に分岐する道

があり、猿田彦神はそこに居られて道を守り、道を教えた神

様であるという。天孫の降臨について、天孫の一行にその行

く手を教え導かれた功績が褒め称えられているのだ。そこか

ら猿田彦神は、大にしては国の行く手を示す神であり、小に

しては道の守り神として悪いものを防ぎ、よき方への導きの

神としてあがめられている。巫女としてのお前に言うのは、

おこがましいかもしれんが」

 仁斎は微笑みながら言った。

「父上、そうすると、去り行く前に南方をさしたのは、何か

の意味があると」

「うん、善き者が近く、南から来るということであろう。し

かし、白馬と最初に出てきた猿だが、白馬が消え、玉が落ち、

その玉を飲むと大きくなったのか。・・・・・・分からぬ。

ほかになにか無いのか」

「あっ、その玉には「文字が刻まれていて、永楽通宝とあり

ました。そしてその玉を大猿は琵琶湖に投げ捨てました」

 永楽通宝 (えいらくつうほう)は、中国、明朝第三代皇

帝・永楽帝の時代に作られた銭貨。室町時代に日本へ大量に

輸入され、江戸時代初頭まで流通し、永楽銭とよばれていた。

形状は、円形で中心部に正方形の穴が開けられ、表面には

「永楽通寳」の文字が北南東西の順に刻印されている。材質

は銅製である。明では初代洪武帝のときに銭貨使用が禁じら

れ、すべて紙幣(後には銀)に切り替えられていた。一方、

日本では貨幣経済が急速に発展しており、中国銭貨への需要

が非常に高まっていた。そのため、日本との貿易決済用銭貨

として永楽通宝が鋳造されることとなったのである。永楽通

宝が主に流通していたのは、伊勢・尾張以東の東国である。

特に関東では、永楽通宝が基準通貨と位置づけられ、西国で

は唐宋時代の古銭が好まれていた。

 仁斎は「永楽通宝を投げ捨てた」と聞いてニヤリと笑った

が、そのまま何も言わず、それどころか、

「今日、月が出たのち、鬼道を行い夢の意味を明らかにせよ」

 と浪路に命じた。

                     百九十四に続く


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