第三部江湖闘魂完結編百八十七「激誘波ふたたび」
第三部江湖闘魂完結編百八十七「激誘波ふたたび」
猿飛は嵐山の空中戦でお香に負け、川に落下した後、泳
げないため溺死しかけたのだが、紅葉を舟から愛でていた
川下りの嵐山見物の人々に救われたのである。
陸に上がった猿飛は、お香が堅田から信州に来たのを思
い出し、昨日の夜から、堅田の岡本邸を監視していたのだ。
邦源が、
「何の用事でこの堅田にお越しか」
といぶかしげに言うと、
「信長の遺書を探しています」
と猿飛は率直に答えた。
「今日は遺書探しの日のようだな」
邦源は大きくため息をつきながらいった。
「邦源様、もし遺書の行方をご存知なら、お教え下さい」
猿飛は邦源を正面から見据えて言う。
「そのようなものは知らぬ、といっても信じぬな。さっき
の井伊家の者たちの様子も見ていたであろうし。遺書のこ
とはあきらめよ、といっておこう」
「お知りであれば、是非お教えを」
「あきらめよ」
「主人、真田幸村のために、あきらめることはできませぬ」
「できませぬか。幸村の家来か」
「御意」
「あやつの手に、遺書が渡れば、天下動乱は必至。絶対に
渡せぬ」
「どうしてもだめなら、手荒なことをすることに・・・・・・」
そう言った猿飛の茶色の眼が、次第に濃くなっていくの
をお香は見た。
明らかに、猿飛が交戦モードに入ったシグナルである(一
六五話参照)。
お香はその様子にすかさず先手をとろうと夕波十八掌を
打とうとしたが、その前に、邦源が両腕を胸の前で交差し、
なにやら呪文のようなものをつぶやくと、両腕を前に突き
出した。
その刹那、邦源の背後からすさまじい量の水が湧き上が
り、邦源を越え、猿飛に襲いかかる。
突如、洪水に襲われ、現実を超えたそのシュールな情景
に、猿飛は立ちすくみ、次には、押し寄せる波にさらわれ
ていく自分を感じていた。
猿飛はそのまま五〇〇メートル先まで飛ばされていった
のである。
邦源が使った技は百十五話で紹介した琵琶湖激誘波であ
る。
琵琶湖激誘波は、洪水が襲うような幻覚を敵に見せ、そ
の一方で幻覚に気をとられている敵に「気玉( きぎょく
体内の気を集めたすさまじいエネルギーをもつ見えない玉。
空気中をはしり相手に致命的打撃をあたえる)」を発して、
はるかかなたに相手を吹き飛ばす技である。
やられた相手は、その気玉に気づかず、波にさらわれて
いくような感覚を覚えることになる。
猿飛が見えない波にさらわれて、はるかかなたに消え去っ
ていくのを見ながら、お香は邦源に猿飛の生死を聞いた。
「普通なら死ぬことはない。手加減はしている。しかしみ
んなそろって、同じことを言いに来る日だな。なんかむしゃ
くしゃしてきた。お香どうだ、走らぬか」
「え、向こうの岸までは五キロくらいですか」
「いくぞお香」
邦源は浮御堂から湖水に身を躍らせた。
お香も続いた。
邦源とお香は、湖水に着水ではなく、着地すると、湖面
を走り出したのである。
これぞ堅田水舟拳奥義ではなかった、基本技「水走り」
であった。
父と娘が楽しそうに湖水を走っているとき、猿飛は何か
見えない力に押され続けているのを感じながら、樹木など
の抵抗物を探していた。
自分の体が当たっても十分に耐えられる障害物さえあれ
ば、「さるとび」が使えるからである。
自分を押し流す力のすごさは、そのまま反作用の力とし
て、猛烈な反発力を生むことになるのは自明であった。
そして、楠の巨木に背中をしたたかに打ったとき、猿飛
佐助は大空高く飛び出していった。
邦源の気のパワーがすごかっただけに、その反作用とし
ての楠から受けた力も大きく、あっという間に湖面を楽し
げに対岸に向かい走っていく邦源とお香に接近していった
わけである。
百八十八に続く




