第三部江湖闘魂完結編百八十六「堅田水舟拳奥義」
第三部江湖闘魂完結編百八十六「堅田水舟拳奥義」
「初対面から鉄砲の挨拶とは、物騒だが、井伊家の者がわし
に何の用があるというのか」
邦源は井伊家侍大将石黒将監にそう言うと、深く息吹をし
て、気を体内に充満させていった。
石黒将監といえば、琵琶湖決戦編八九「井伊家石黒将監」
の巻で彦根涼単寺に潜入した井原正英に一太刀を浴びせ、良
之介が助勢せねば正英の命はなくなっていたという剛の者で
ある。
その石黒がなぜこの堅田にいるのか。
江湖闘魂完結編百二十八「孫六、決断す」で述べたが、石
田三成は存命であり、井伊家内の旧武田家家臣団の指導者、
広瀬将房と結託して謀反を起こし、徳川家康に対して何らか
の攻撃を仕掛けようとするのは必定であった。
ただ家康はすでに上洛の途についているのに、いまだ「信
長の遺書」は見つからない。
秀吉が死んだ後、太田牛一が堅田の岡本邦源の許を訪ねて
以後、行く方知れずになっていることを、近江の大名として
噂に聞いていた三成は、思い切って邦源に太田のことを力ず
くでも聞こうと石黒を派遣したわけである。
堅田水舟拳の使い手である邦源に対抗するために、三十名
の武士と七丁の火縄を石黒に預けたのだ。
しかし、三成も石黒もあまりに邦源を過小評価していた。
「太田様のことなら、知っているぞ」
邦源は、笑みをたたえて石黒に言った。
「教えてくださるか」
石黒がうれしそうに応える。
「だが、娘もいるのに、銃口を向けられたままでは、、あま
りに無粋であろう」
邦源の言いに、石黒も納得し、火縄の銃口を空に向けさせ
た。
その所作を笑いながら見て、邦源は指笛を鳴らした。
ピロピロピー、ピロピロピーと高音で二度鳴らした。
二度目の指笛の音が終わりかけたとき、石黒たち井伊家の
三十名の侍は何万羽という水鳥の襲撃を受け、あまりの鳥の
多さにその姿さえ見えなくなり、周囲からは石黒達は黒い塊
のようになった。
そして、鳥たちが一斉に飛び上ると、その塊は空中に持ち
上げられ、彦根の方向に飛んでいったのである。
水鳥とともに消えてしまった三十名の者たちを案じてお香
が、
「お父さん、あの人たち、何人かずつ、空から落ちていって
いるような気がするんだけど」
「いや、気がするわけではないよ。本当に高い高いお空から、
地面に落ちていってるよ。痛いだろうね。お父さん、ちょっ
とやりすぎたかな」
「堅田水舟拳奥義の一つ、天上飛翔落雁 (てんじょうひしょ
うらくがん)を久しぶりに見せていただきました。凄すぎ。父
さんが悩む必要ないよ。挨拶代わりに鉄砲を向けたりする、
礼儀知らずの奴らなんだから」
淡々と親子が語っていると、浮御堂の入り口の方向からやっ
てきた赤ら顔の男が、
「悪魔の親子か君たちは」
と親子に聞こえぬくらいの小声で言った。
そして続けて、
「拙者は猿飛佐助。岡本邦源様にはお初にお目にかかります」
と邦源に自己紹介をしたのである。
「佐助兄さん、生きてたの、カナヅチだったよね」
お香が、嵐山の空中戦で佐助が空から川に落ちていった姿を
思い出しながら驚いた様にいう。
「佐助兄さんか。・・・・・・・もしかして戸沢白雲斎先生
の一番弟子の猿飛殿か」
邦源が問うと、
「御意」
と猿飛は答えた。
百八十七に続く