第1部関ケ原激闘編19「烏頭坂の風景」
伊勢街道を関ケ原から進むと、なだらかな上り
坂が続く。
烏頭坂 (うとうざか、現岐阜県養老郡上石津町
牧田)である。
その坂のてっぺんから、今来た道をふりかえる
一団があった。
島津豊久と佐土原衆三十名である。
あまりにも猛撃しすぎた先鋒役の豊久は義弘本
隊と離れすぎ合流すべく待つことにしたのだ。
義弘本隊がもう数分で烏頭坂に到るのは豊久と
佐土原衆の眼には見えている。
しかし、彼らの眼は、別の集団をも捉えていた。
その集団は義弘本隊の六百メートルほど後ろを
義弘本隊と全く同じ速度で移動している。
「殿、あの背後の者たちは味方でござろうか」
佐土原衆の一人が豊久に問うた。
「敵だな。あの移動の仕方は、獲物を狙う獣の走
りだ。義弘様の本隊に気づかれぬ距離を保ち、機
を見て、一挙に食べようという狙いだ」
「いつでも追い越せるのに追い越さないわけです
な」
他の者がいう。
「そうだ。しかし、二百五十ほどの騎馬隊が、あれ
ほど整然と動くとは。まるで島津の兵のようだ。い
ずれの家中な
のか。美しいものよ」
一瞬、騎馬の美に酔った豊久は、すぐ己の使命に
戻る。
佐土原衆を見渡し、
「敵は、義弘様の本隊がこの坂を登り、下り始めた
瞬間に全力で駆け出す。そして一気に駆け上がり、
そのままの勢いで降り、下りの途中の義弘様本隊を
破砕するつもりだ。私は、ここで捨て奸 (すてがま
り)をする。もし、生に未練ある者あれば、遠慮なく
去ってよい」
と告げた。
それを聞いた佐土原衆は大いに笑った。
関ケ原に来たこと自体、死を意味している者たちに
は、豊久の言は、冗談にしか聞こえなかったのである。
豊久は馬上から軽く黙礼し、種子島を持っている十
二名の火縄に火をつけさせた後、全員を道の傍らに一
列に並べた。
「もう義弘様の本隊が通過される。最後のお見送りを
しましょう」
以下二十に続く
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