第三部江湖闘魂完結編百八十三「戦国の子
第三部江湖闘魂完結編百八十三「戦国の子」
「死んだものを斬る剣は持っていない」
暗報の死体を前に、兵庫助がつぶやくように言うと乗月が
この者を埋葬してよいかと、兵庫助にきいてきた。
「そうだな、この者だけでなく、亡くなった者のすべてを土
に埋めて弔ってやろう」
兵庫助が、乗月の問いに答えると背後から、
「さすが柳生の後継者だ」
といつの間に来たのか、本堂の裏手にある金堂に梶川小兵
衛とともに潜んでいた藤堂高虎が、大きな声でほめ言葉を発
した。
死者の埋葬や血だらけになった本堂の掃除などは、生き残っ
た者達と高明寺の僧侶達によって午前一時ごろまで行われた。
そのあと高虎が、柳生衆、徳川家の者たち、そして自らの
藤堂家の者達が宿泊する部屋にわずかながらの酒を配り慰労
した。
さらに高明寺には、かなりの金子を寄進したのは言うまで
もない。
高虎は、正英や兵庫助ら、この決戦の責任者を別に本堂に
呼んで形ばかりだが酒宴を催した。
柳生七子は、深夜だが旅立ち、大津から彦根あたりを巡回
したいという。
兵庫助は柳生の者の言い分に異を唱えるでもなく、三門ま
で見送った。
正英と良之介も見送ったが、あの彦根潜入に失敗し桑名に
戻る道中で柳生七子の中の倫敏 (りんびん)という女に殺され
かけたことを良之介は思い出し、別れの顔の中に探したが見
当たらなかった。
六人なのだ。
乗月に倫敏のことを、良之介が問うと、良之介と揉め事を
起こした後、出奔していまだに行方知れずとのことであった。
柳生七子が闇の中にその姿を消していくのを確認した後、
本堂に戻る途中で兵庫助が、倫敏は二年前に柳生七子が生れ
る数週間前に(成立のいわれは九五話を参照していただきたい)
柳生の里を訪れた武者修行の女で、あまりに技が切れるので、
もともと六人であったのに加えたのだと、その当時の事情を
正英らに教えた。
「あの女のことは別にして、高西暗報に鉄砲を撃ちかけた寺
男の技も見事だったな。暗報がよけきれずに肩の肉を削がれ
たのだ。あの男にも一献差し上げたいな」
兵庫助は、寺男の木兵衛を賞賛した。
まさか木兵衛が、往年の鉄砲名人雑賀孫市の変名などとは
兵庫助には思いもよらぬことである。
正英も良之介も木兵衛の話には気づかぬふりをして、本堂
に戻り、高虎や梶川と酒を酌み交わした。
しばらくすると、来客のあることを告げに木兵衛が来た。
兵庫助は、木兵衛に一杯飲まぬかと声を掛けたが、畏れ多
いと同席を辞退して真夜中の客を本堂に招きいれ、自身は退
出した。
しかしすぐに、高虎がそのあとを追った。
すれ違う客に軽く礼をして、外に出ると前を行く木兵衛に
小声で声を掛ける。
「雑賀孫市様では」
本名を言われ、木兵衛は一瞬立ち止まったが、すぐに振り
向き、笑いながら小声で、
「わかっちゃった」
とひょうきんに返答した。
一五八五年豊臣秀吉の紀州攻めの際に、藤堂高虎は秀吉の
弟秀長の家老として従軍し、秀長の命を受けて孫市を暗殺す
べく秀吉の使者になりすまし、秀吉は大阪にいたにもかかわ
らず、
「紀州粉河 (こがわ)寺で主君秀吉が内密に講和の会談を持
ちたく、お待ちしております」
と偽計を案じて孫市を粉河寺におびき寄せ、殺害しようと
したことがあった。
孫市は風吹峠を越えて粉河寺に向かうが、秀長と高虎の陰
謀を知った蜂須賀小六が峠で孫市を待ち受けて陰謀を知らせ、
難を逃れた孫市はそのまま紀州から脱出することになる(琵琶
湖伝一五七、一五八参照)。
「二十七年ぶりでござるか」
高虎が懐かしそうに言うと、
「あれから世間を捨てたが、高虎殿はまだ走り続けておられ
るのですな」
と孫市は昔のことなど気にもしないように、おだやかに言っ
た。
「紀州攻めのあと、秀長様が死に、朝鮮の役があり、秀吉様
が崩御され、日本の平和のために家康様に味方し、関ヶ原が
家康様の勝利で終わり、もう走らずとも良いと思ったら、今
夜の始末で、いつになったら走り終わるのか自分でも分かり
ませぬ」
「高虎殿の宿命でござろう。蜂須賀様は秀吉と巡り会い、秀
吉の天下統一にお付き合いなされた戦国猿回しとして人生を
全うされたが、時代の女神に出会い、その流れとともに生き
る定めを背負ったのが高虎殿。その気まぐれな女神の動きに
対応できる底知れぬ知恵と胆力を持っていたともいえますな。
時代の子。戦国の子」
孫市は、世辞でもなんでもなく、高虎の生き様への思いを
率直に述べた。
百八十四に続く