第三部江湖闘魂完結編百八十二「古い船頭の流儀」
第三部江湖闘魂完結編百八十二「古い船頭の流儀」
「殺気の尋常ではないな。柳生七子は、柳生北斗陣という陣形
で戦うそうだが、今わしの眼前で北斗七星の形で座っている、
これがそうか」
暗報は、ささやくような声で疑問を投げた。
「そうだ」
乗月が答えた。
暗報の背後には、兵庫助、正英、良之介らが追いついて来て
いた。
「暗報。お前の命運もここまでだ。観念しろ」
正英が怒気をこめた声で言った。
「マーチャン。マーチャンは、完全に勝てるとわかったら強気
になるような人間だったの。さっきまで恐い恐いしてたでしょ。
僕ちゃんもう死ぬんだよって。マーチャン、本当は死んでたの
よ。もっと素直で良い子になりなさい」
と正英を子供呼ばわりして、からかいながら振り向いた暗報
だが、正対する兵庫助には一転して、
「木の葉隠れの技を破り、わしを吹き飛ばしたのは、お前か。
もしそうなら、なんという技か教えてくれまいか」
と真面目な表情で尋ねた。
「拙者は柳生兵庫助。技は月影」
兵庫助は簡潔に言う。
「はぁ、確かそれは柳生新陰流の奥義だったか。柳生兵庫助と
いえば新陰流の正統後継者と聞いたことがあるが、こんな若僧
だったとは。歳は」
「二十三」
「新しい船を動かすのは古い船頭ではないというが、新しい武
術家が、優秀な若者がどんどんでてくるものだな。わしとて東
命寺の導師になったのは二十代であったし、若僧が最高武術家
であっても何の不思議もない。わしも四十六で老いてきたか、
心臓が悪くてな、今日は少し頑張りすぎふゆにゅ・・・・・・」
突然、 暗報は、呂律が回らなくなった。
「オギュン、ニャオフンゥ・・・・・・」
何を言ってるのかわからぬまま、月光に照らされた暗報の顔
は、青白くなり血の気が引いている。
暗報はそのまま心の臓のあたりを押さえてうずくまり、紅葉
の落ち葉の中に倒れこんだ。
暗報を囲んだ者達は、暗報が芝居でもしているのかとしばら
く様子をうかがった。
身動きひとつしない。
背後にいる乗月が、用心深く紅葉に埋もれた暗報の顔を覗き
こんだ。
瞳孔が開き、脈も診たがしていない。
明らかに心臓の発作に襲われ、自然の摂理の罰により絶命し
てしまったのだ、と誰もが思ったのである。
しかしこの場にいる者達はだませても、賢明なる読者諸氏は
だませない。
今の暗報の状況はまさに第百十三話で、霧隠才蔵に見せたも
のであり、秘薬「黄泉参り (よみまいり)」を、心筋梗塞の発作
の芝居をしながら倒れこんだ時に飲んだにすぎないのだ。
「黄泉参り」は瞬時に使った者を死に至らしめる。
しかし、数時間後にはその者を蘇生させる薬であり、黄泉の
国、あの世に行ってこの世に戻ってくることから、「黄泉参り」
という名がついたのである。
不幸にもこの高明寺の場には「黄泉参り」を知る者はいない
のだ。
ただただ人の死を眼前にして、その死の荘厳さにひたる者の
みであった。
百八十三に続く