江湖闘魂完結編百七十九「平蔵の死と雪林氷布」
第三部百七十九「平蔵の死と雪林氷布」
石灯籠の薄明かりにゆれる、前方の男の顔はまだ若い。
「小僧、逃げたいなら今のうちだ。まだ人生は終わるに
は速すぎるぞ」
「フッ」
小僧は鼻で笑うと青眼に構えた。
気楽に構えてみえるその青眼の剣は、いつの間にか背
後の小僧の姿に眼の行く余裕を宮内に持たせぬほどの殺
気を放ち、宮内を釘付けにしてしまっていた。
(動けぬ。動いた瞬間、スキがうまれ恐らく真っ二つに
俺は切られる)
生れて初めてといってよいほどの恐怖が宮内を包んだ。
死ぬ覚悟が出来ている宮内にしても恐怖を覚えさせる
青眼の剣こそ、柳生新陰流正統後継者、柳生兵庫助の面
目躍如たるものであった。
(命は一度捨てるものか)
宮内は剣を上段に構え、大きく一歩を踏み出した。
其の時、
「平蔵、上意じゃ」
とわめきながら宮内の斜め右前方の暗がりから突如躍
り出た東郷重位が、大きく袈裟懸けに剣を振るった。
兵庫助の青眼の剣に圧倒され周囲を顧みるゆとりのな
くなった宮内に、東郷重位の剣から逃れる術があるはず
がなかった。
「ウグッ」
宮内は苦しげな声をあげながら、己の左の頚動脈を見
事に断ち切った男の方角に自然に体がねじれていった。
男と眼が合った。
「おんしは、東郷さんか」
「「そうじゃ東郷じゃ。上意討ちじゃ。許してたもんせ」
「・・・・・・・どなたの」
「義久様じゃ」
宮内は、「義久」と聞くと、再度尋ねた後、
「義弘様でなかったのがせめてもの救いかもしれん。じゃ
が、それにしてもなつかしか。東郷さんとは剣の話をゆっ
くりしたかった。ほんに、なつかしか」
というと、背後に倒れ動かなくなった。
宮内が黄泉の旅路を歩み始めたとき、宮内から赤い布
を受け取った高西暗報は、左右の手に巻きつけると、
「アヒョヒョヒョヒョー」
と意味不明の奇声を発しながら、鐘付き堂の屋根から
飛翔し、本堂の左側面の板戸を蹴破り中に入った。
瞬間、吼えるような絶叫が、暗報の周りで起こった。
暗報は本堂内に入った刹那、己の左にいた警護の者の
首に、右にいた者には胴にそれぞれ赤布を投げて巻きつ
かせ、一挙に布に気を注入した。
赤布は鉄の歯のようになり左右の者を締め付け、あっ
というまに首と胴がそれぞれに千切れたのである。
暗報が繰り出した内功の技は、高雄東命寺派奥義の雪
林氷布 (せつりんひょうふ)であった。
首が飛び胴が真っ二つになって血が凄まじい勢いで噴
出するのを見て、暗報の五メートルほど先に対峙した正
英も良之介も眼を剥いたが、特に良之介は驚きのあまり
腰を抜かしてしまった。
正英は、両手から気玉を発して暗報をけん制しながら、
動けなくなった良之介の襟首を掴むと、暗報を正面に見
ながら三メートルほど後ろに跳躍し、着地と同時に良之
介を本堂の隅に放り投げた。
良之介は何とか受身をとって、転がりながら本堂の隅
の壁に背をやって座り込んだ。
暗報の技の凄さは、良之介を丁寧にこの場から逃れさ
せるほどの余裕を、正英に持たせなかったのである。
百八十に続く