江湖闘魂完結編百七十一「南禅寺の死闘 三門炎上」
南禅寺三門は、五間三戸二階二重門の規模で高さは二十
二メートルである。
五間三戸二階二重門とは、「五間三戸」は正面柱間が五
つで、うち中央三間が通路になっているもので、「二重門」
は二階建てで、一階・二階の両方に軒の張りだしがあるも
のをいう。
二階には一階から一人がやっと位の幅の階段で、上れる
ようになっている。
また二階には仏像を安置した部屋があり、その周りを一
メートルほどの幅の廊下で周回できる。
宮内平蔵の上段からの剣を、必死の居合いで受け止め、
その剣を叩き折った正英は、ふらふらと良之介の肩にもた
れた。
良之介は正英の意識がなくなりかけているのに気づき、
左手一本で抱え上げると暗報たちと逆方向の三門に向かっ
て走り出した。
良之介は己の実力では、正面から戦っても敵わないとし
て、三門の二階に上がることを考えたのだ。
二階に上がれば逃げられなくなるかもしれないが、階段
が狭いだけに敵は一人ずつしか昇っては来れない。
(ならば己の実力でも充分に戦えるであろうし、時も稼げる)
と読んだのだ。
恐らく逃げた藤堂鷹虎らは所司代に走るであろうし、す
でに所司代の応援の者たちが近くまで来ているかもしれな
いのだ。
敵の刃をかいくぐり、南禅寺の狭い上り口に入ると、ダ
ダダダダッと階段を駆け上った。
二階に上がると正英に己の気の一部を注入した。
正英は幾分、顔に赤みが戻り、
「お前は大丈夫か」
と己に良之介が自身の気をやりすぎたのでないかと心配
した。
「やや疲れたかな、くらいです」
と良之介は気の注入がうまくいったのに安堵の表情をし
た。
正英の状態はやや元気になったくらいだが、それでも階
段を昇ってきた敵を、良之介が蹴り落とす前に、正英の剣
が順々に突き落としていった。
それくらいの元気は戻ったのである。
ガチャン、ガチャンと建物の周辺で何かが割れる音がし
た。
そして、階下に高西暗報が顔を出した。
「正英殿、我が命の恩人よ」
「高西殿、上がって参られよ」
正英も挑発する。
「上がりたいのはやまやまだが、なんせ太り気味で階段を
昇ると息切れがしましてな。今はもう十一月、正英殿に暖
をとってもらおうと、油壷ごと三門に投げ割っていてな。
ここにも」
というと外に出、油のたっぷり入った壺を階下に投げ入
れた。
ガチャンと割れる音がして、油の匂いが階段の上まで来
る。
「フフグハハグハッ」
暗報は大笑いしながら、階下の油の溜まっている場所に
松明で火をつけた。
ボウッと音がして、炎が階下に満ち、階段を昇り始めよ
うとする。
さらに一階の各所から炎が噴きだす。
「高西ってあのくされ外道は、頭がいかれ過ぎてますね。
三門ごと我らを焼き殺そうとは」
良之介が信じられないといった風で、暗報をなじった。
正英は何も言わずに二階の上の屋根に何とか飛び上ると、
良之介の腕を掴んで引き上げた。
火の勢いが激しく、すでに二階の廊下の至るところで火
の手が上がっているのだ。
正英は両手を後頭部に回すと瓦を枕に仰向けに寝た。
「良之介、見てみろ、満天の星だ」
正英は夜空を見上げて満足げに言う。
「何を言ってるんですか。井原様、一か八か飛び降りましょ
う」
良之介は、火の回りの速さに驚き正英をせきたてた。
「もし飛び降りれば、俺の気力はそこで萎えるだろう。お
前は、動けなくなった俺を抱えて、高西暗報から逃れる自
信はあるか」
(・・・・・・)
良之介は答えなかった。
正英は笑いながら考えを述べる。
「俺は今年で三十四歳。お前は二十一歳だ。俺のほうが十
三年も多くこの世を楽しんできたわけだ。楽なこともあれ
ば、辛いこともあったが、全てを含めて人はこの生を楽し
むのだ。お前には最低十三年は、この世を楽しむ権利があ
る。そうでないと、俺とお前は同じ平等な人間とはいえな
いだろう。お前だけ逃げよ。俺に遠慮して逃げる機を逸す
るな」
良之介は火の粉が飛んでくる中で、
「あなたはいつも、優しいことをいう。そう言って、満足
げに死んでいくのでしょうが、後に残って不満足で、後悔
をしながら生きねばならない人間のことも考えてください。
私はあなたを助けたいし、力及ばずあなたと死ぬなら死ん
で良いし、一人逃げて一生を「あのとき井原様をなぜに見
捨てたのか」と思いながら生きたくはない。私は自分のた
めだけに生きるような人間ではないのです。あなたは私の
ことを思いやってくれているようで、その実、私を愚弄し
ているのですよ」
と訴えた。
正英は頷きながら言った。
「そう言ってくれるだけで俺は嬉しい。大いに後悔して生
きてくれよ。俺は今、お前の言葉を聞いて、お前は生きる
価値を持っている男だと心底思った。頼むから、俺を一人
で死なせてくれ」
良之介は無言で大きく首を振る。
正英はさらに言った。
「良之介よ、地獄行きの三途 (さんず)の川は一人で渡るも
のなのだ」
以下百七十二に続く