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琵琶湖伝  作者: touyou
173/208

江湖闘魂完結編百六十九「南禅寺の死闘 以心崇伝」

 第三部江湖闘魂完結編百六十九「南禅寺の死闘 その一」

 以心崇伝、金地院崇伝 (こんちいん すうでん)は一五六九

年生れ、この年三十三歳の若き俊英であり、徳川の朝廷工作

の隠し玉的存在であったが、家康の征夷大将軍と源氏長者任

命がほぼ確定した今、一躍その活躍が知られることになり、

歴史の舞台に登場してきた人物である。

 細身で目鼻立ちの整った顔立ちは、いかにも有職故実に通

じた知識人の風格を漂わせていた。

 その崇伝を中心に縦に長い金地院の建物の奥の広間に、五

人の人物が座っていた。

 崇伝、伊予今治二十万石の大名藤堂高虎、その家臣梶川小

兵衛、さらに井原正英と市来良之介である。

 崇伝はあまりに物々しい警備にいささか辟易していた。

 学問を愛し、風流を友とする自由な雰囲気を好む崇伝にとっ

ては、ここ数日は窮屈この上ない状況であった。

「勧修寺晴豊様が襲われたのでござる。いつ崇伝殿が狙われ

てもおかしくなかろう」

 と藤堂高虎から言われても、

(晴豊様と自分では格が違いすぎる。何でこの青二才を)

 と高虎の心配を内心笑っている崇伝である。

 今この奥の広間で四名の猛者に囲まれているのも、のんび

り満天の星と名月を味わいたいと、南禅寺周辺の散策を希望

したのを、「われらがいかに血の雨をくぐってきたか知って

いるのか。徳川の誰がいつ殺されても不思議ではない」と風

流などと程遠い今に心をめぐらすべきだと、全員から説教さ

れているのである。

「皆さんがそういうなら、散策はやめますが、庭に出て月を

愛でるくらいはいいですよね」

 崇伝が微笑しながら言う。

「だから外に出てはならぬと何度言ったらよいのだ」

 高虎が崇伝を叱り飛ばす。

「崇伝殿、今は自重くだされ。どこから暗殺者が狙っている

のか、本当に分からないのです」

 正英が言葉を継ぎ足す。

「ならば、縁側からはどうですか」

 崇伝が、あらたな提案をする。

「しつこいですぞ」

 高虎が呆れ顔で言った時、縁側から風が吹き抜けてきたの

か、微妙に障子が震えた。

「ほら風も、月くらい崇伝に見せよと言っているではないか」

 崇伝は屈託ない物言いをした。

「いや、そろそろ縁側の板戸を閉めよと風が言っているので

す」

 梶川小兵衛はそう崇伝に言いながら立ち上がり、板戸を閉

めようと廊下に出るべく障子に向かった。

 良之介も手伝おうと、梶川に続いた。

 梶川が苦笑いしながら両手で左右の障子を一挙に開けた瞬

間、梶川の体はそのまま後方に倒れこんだ。

「ウッ」

 仰向けに倒れた梶川は小さく呻いた。

 あとで考えれば、梶川は激痛を見事にこらえたのだ。

 何とその左肩には、火矢が突き刺さっていたのである。

 燃えさかる火矢を気丈に引き抜くと、梶川は庭に向かって

投げ捨てた。

 と同時に庭より二本の火矢が、開け放たれた広間の中にさ

らに射込まれる。

 梶川と同じく立っていた良之介が、手刀で二本の矢を叩き

落とした。

 その時、三名の覆面姿の者が、手に手に刀を振り回しなが

ら、縁側を越え、廊下に立つ良之介に切りかかった。

 火矢を落とすのに夢中であった良之介は、三名の凶刃をか

わすのが精一杯であったが、そこは電瞬一撃、井原正英の居

合いが冴え、あっという間に二人が葬られ、残りは起き上がっ

た梶川が使える右手で突き殺した。

 崇伝はこの殺戮の状況に、腰を抜かし、眼を丸くしている

だけである。

 金地院は細長い建物なので、この奥の広間に来るまでに二

つの部屋を通り三つの襖を開けねばならない。

 すでに二つの襖が開け放たれる音がして、正英、良之介、

梶川が身構えると、広間の襖を倒しながら入って来たのは、

全身血だらけの藤堂家の武士であった。

「殿、早くお逃げを」

 ぜぇぜぇと荒い息の中で必死で何とか首を挙げ、高虎に呼

びかけた。

 梶川が、

「気を確かに」

 と駆け寄ったが、

「木の葉が突如、流れて来て、みんな意識がなくなって」

 うわごとのようにその武士は言いながら絶命した。

(高西暗報か)

 正英と良之介は同時に思った。

「みんな逃げるぞ」

 高虎が腰を抜かして動けなくなった崇伝を肩に担ぎ上げ、

床の間の掛け軸の裏の壁を叩くと、壁が九十度回転した。

「高虎様、私と良之介はここで敵を受け止めます。お逃げ

ください」

 正英がそう言うと、高虎は百戦錬磨の武将藤堂高虎の顔

になり、

「その言葉、ありがたく頂戴した。梶川、おぬしも来い。

右手のみでは足手まといだ」

 と言い放つ。

 正英も梶川に眼で逃げろと言う。

 すでに壁の裏に入った高虎たちを追い、梶川も「すまん」

と一言残し、消えていった。

 この壁の裏は地下の洞穴に続き、そのまま逃げれば金地

院から二百メートルほど離れた古井戸に達し、その井戸を

上がった場所には藤堂藩の侍数名と数頭の馬が置かれてい

た。

 床の間を背にして、正英と良之介は立った。

はるかかなた、開け放たれた襖の向こうの玄関口を上がり、

十名の敵がわめきながら、押し寄せてきていた。

「良之介、俺の後ろでうつ伏せになって眼を閉じろ」

「エッ」

「うつ伏せだ」

 正英の低く重みのある声に気押されて、良之介は言われ

るがまま、正英の背後に回り、うつ伏せになり、眼を閉じ

た。

 もし良之介が眼を開けていたら、正英の格好に驚いたで

あろう。

 正英はかかとを浮かせ、両膝を軽く曲げ、両の手の平を

前にゆっくりと突き出し、腹から浅く息をはき、「オンボ

ウチシッタ ボダハダヤミ オンサンマヤサトバン」と呪

文を唱えて、深く息を吸った。

 すると正英ののど仏の部分が蛙ののどが膨らむように大

きくなっていった。

 寄せ手の者たちは正英からすでに十メートルほどの距離

に近づき、二本の矢が正英に放たれる。

 正英はゆるやかに息を吐き出しながら、

「ウー ヤー」

 とつぶやくように言い、最後に、

「ター」

 と叫んだ。

 体内の「気」が声となって、すべて放出するかのような

大音声が金地院内に鳴り響いたのである。

 床の間の壁のからくりが気づかれることを恐れた正英は、

剣を使わず、蝦蟇功 (がまこう)の奥義の一つ、皆殺しの秘

技である咆哮残姿風 (ほうこうざんしふう)を放つしかない

と判断したのだった。 

                   以下百七十に続く


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