江湖闘魂完結編百六十八「命は一度捨てるもの」
◆GS5dH4MwNYさんに敬意を表して。
第三部江湖闘魂完結編百六十八「命は一度捨てるもの」
一六〇二年十一月十四日午後六時、京都東山蹴上南禅寺金
地院近くの小高い丘の林の中。
お香により川に落とされた猿飛佐助が、水の中で悪戦苦闘
をしている時刻、この林の中に多くの人影があった。
頭領植山仁斎をはじめ勧修寺晴豊襲撃に伴い、糺の森 (た
だすのもり)で多くの者を失った、大化の改新以前から烏丸中
将家に仕える暗殺集団植山衆の残党三十五名である。
さらに二人。
一人は長身で筋肉質だが、顔が異常に青白く陰鬱な感じを
人に与え、右頬にかなり目立つ傷跡がある男。
そう、それは宮内平蔵であり、もう一人は背は百五十セン
チくらいか、かなり低く、体重は逆にかなりありそうで、九
十キロか。
頭は丸坊主である。
顔は大きく、またその顔の半分は額に見える。
目の焦点が定まらず、黄色い歯が覗き、その歯も、前の二
本が抜けている。
恐らく無精なのか、妙に薄汚い衣服を着ている。
高西暗報である。
植山衆の前に立つ二人のうち暗報が口を開いた。
「昨日、植山仁斎殿が亡くなられたが、烏丸中将成幹様も伊
賀者に襲撃された。当然だが伊賀者たちは返り討ちに遭わせ
た。その後、成幹様はわしと宮内にこう申された。「古くよ
りわが烏丸家は、暗器師の家として朝廷にお仕えしてきた。
しかし時代は変わり、我が暗器師の家も不要の物となった。
武家の絶対的政治権力の確立の流れを止めることはもはや出
来ぬと思う。そして徳川政権が生まれれば、日本に千年の平
和が現出するであろう。それは、理屈ではわかる、わかるが
ならば、朝廷のための暗器師の家に生を受け、暗器師として
しか死ねぬ麿は、この流れを甘受するしかないのか。麿には
それは出来ぬ。甘受するするくらいなら、時代の壁に挑み、
時代を枕に暗器師としての自決をしたい。高西と宮内よ、今
までよく、麿の手足となって働いてくれた。主君としての最
期の命令である。南禅寺金地院の徳川の朝廷責任者の一人、
以心崇伝を急ぎ消せ」と」
暗報がそこまで言うと、植山衆の中から低く、
「成幹様は」
という声が挙がった。
宮内平蔵が、あとをつないだ。
「われらも成幹様はと問うた。「麿は烏丸家当主として一人、
暗器師の本分を全うし、死ぬつもりだ。お前たちは金地院に全
力でかかれ」、そう言われるといずこかに去っていかれた」
植山衆は全員、眼前の二人に集中していた。
暗闇の中から暗報が声を発した。
「我らの呼びかけに応じ、よくこの場に来てくれた。大量の油
や弓矢も運んできてくれたことに感謝する。今からの南禅寺金
地院の襲撃は、今までのように相手の虚をついて、裏をかき、
暗殺を果たすといったものではない。堂々と正面より攻め入り、
一合戦をして、以心崇伝を殺す。ただしこの襲撃には何の見返
りもない。あるとすれば、武家の時代を幾分遅らせるくらいの
ものだ。今夜の襲撃については、後世の人は犬死と言うであろ
う。時代の流れの分からぬ愚か者と謗られるであろう。お前た
ちの一人一人の大切な命を、無駄死にさせるための戦いかも知
れぬ。それでもお前たちはわしについてくるか。もし今、少し
でも迷う者がいれば、この場から去ってもよいぞ」
暗報は、成幹が一人で死にに行くことを選んだことに共鳴し、
己一人でも金地院に殴りこみをかけるつもりだった。
それは宮内平蔵も同じであったろう。
チャリンチャリン、刀のつばを鳴らす音が林の中に響いていく。
植山衆が相手の考えに共感したときの合図である。
最後に宮内平蔵が言った。
「命ってのは、一度は捨てるものだ。せっかく捨てるなら「死に
場所」を見つけた奴は運の良いやつ。俺は本当に運が良いと思っ
ている」
顔の表情を動かさずにそう言い終わると、先頭に立ち丘を下っ
て行った。
以下百六十九に続く。