第1部関ケ原激闘編16「本多隊出発」
人の世の中は、かなりの確率で、合理性の支配を受
ける。
理屈に合うことをしたほうが生き易いわけだ。
しかし、たまに「まさか」「たまたま」という言葉
を発せざるを得ないことがある。
いくら一生懸命、「理屈」を考えて行動しても、予
想外のことが待ちうけ、人生をあらぬ方向に変えたり
する。
この「まさか」が良いのか悪いのかで、人の一生が
決まることもある。
つまり人の世の中は、絶対的な合理性の支配だけを
受けるものではなく、偶然の産の支配も受けるのだ。
この話にしても最初の漠然たるアウトラインでは、
第二部との関連で、島津義弘を登場させねばならず、
少し書くか、くらいだったが、「たまたま」、ネッ
トで島津豊久について知り、感激し、「島津義弘の賭
け」や「裂帛島津戦記」などの書物を買い、「まさか」
島津ファンになるとは思ってもいなかった。
次元が違いすぎるが、島津の退却戦の先鋒として、
無数の敵がいる中に突撃していった島津豊久も合理的
には井伊直政(松平忠吉の部隊三千とあわせ六千五百
名)の軍の中で戦死を覚悟していたであろう。
しかし、直政と忠吉の連合軍は、「まさか」と思わ
れるほど、不甲斐なかったのである。
豊久とその郎党、佐土原衆の攻撃を受けるや、あっ
という間に最後尾まで抜かれる。
さらに島津隊が側面をさらす位置にいた福島正則が、
勝敗の決した今、動く必要はないと、「たまたま」朝
鮮の役の戦友であった島津義弘への気遣いのあったこ
とも、島津の敵中突破を容易なものにした。
いずれにせよ、豊久が道を切り開き島津義弘を守る
本隊が、その道を激走したのだ。
敵中突破に成功した時点で島津の全兵力は、突撃時
の約半数、200名強になっていた。
豊久は先導役として、義弘本隊を誘導、義弘の案通
り、一旦は家康本陣に向かうと見せて後、右に曲がり、
伊勢街道に入る。
一方、本多忠勝本陣では、鉄砲隊百五十名を指揮し
本陣の守りを任せられた筑紫秀綱(関ケ原激闘編その三
運は天に在り 手柄は脚に在り参照)が正面から来る島
津勢に対処するため、鉄砲隊全員に射撃準備をさせ、十
名には威嚇射撃を命じた。
その射撃音が合図のように島津隊は伊勢街道に入っ
てゆく。
本陣に戻った忠勝は、秀綱に馬上より、声をかけた。
「秀綱、何故、ムダ撃ちをした」
「ムダではござらん。殿がもう少し早く、お戻りなら
ば、同じことをしたはず。島津は、本多の鉄砲を恐れ
て、逃げたのでござる」
と何をくだらんことを聞くかという気色で秀綱は答
える。
「そうもいえるな。直政と忠吉様は、島津に負けてる
からな」
「との、これで直政様に、お前らは本当に弱いな。島
津は我らの鉄砲の音だけで逃げたのに、と死ぬまで言
えますぞ。ムダではなく、意味ある威嚇でござる」
秀綱は抑揚のない低い声で説明した。
「本当に弱いと言われんために、誰かさんが動き出し
た」
と、やっと戻った梶金平がいつの間にか、秀綱の馬
に、当然のようにまたがりながら口をはさんだ。
忠勝が、遠くに眼をやると、何と松平忠吉(何度も
言って恐縮だが家康の四男、井伊直政の娘婿)を先頭
に忠吉の騎馬隊五百が伊勢街道に向かって全速力で馬
を走らせて行く。
その後ろには、これも井伊直政を先頭に井伊の騎馬
隊六百が。
「あやつらは、自分のため。ウン。わしは家康様本陣
を横切って逃げた横着者の島津を生かさぬために追う
か」
と言うや、単騎、駆け出していく。
梶金平はすぐさま号令を発する。
「騎馬隊のみで殿のあとを追う。他は残り秀綱の指図
に従え。いくぞ」
言うや梶金平は、秀綱に
「ワハハハッ、秀綱、わしが先頭じゃ、わしが主役
だ」
とわめきながら駆けていった。
その後を本多騎馬隊が続き、数秒後には梶金平を騎
馬隊全員が追い越していく。
馬の立てる土埃 (つちぼこり)の中でむせびながら、
筑紫秀綱は思った。
「金平が乗ってる馬って、絶対にオレのだよな」
以下一七に続く