第三部江湖闘魂完結編百五十五「長岡高明寺」
第三部江湖闘魂完結編百五十五「長岡高明寺」
「わしが信長と直接に話したのは一回だけだ。それも「よ
ろしくな」「ははぁ」くらいだった。一五七〇年の三月初
めから五月初めまでの契約で織田に雇われてな。其の時挨
拶だけされた。四月に越前の朝倉攻めだ。秀吉の部隊に入
れられて進軍したのだが、朝倉方が弱すぎて、のんびりし
たものだった。だが金ヶ崎へ進んだところで、北近江の盟
友であった浅井長政が謀反だ。浅井と朝倉から挟撃される
形になった。信長以下全員が包囲される前に逃げたのだが、
最後に逃げる部隊が朝倉の攻撃を支えないと、織田軍自体
が逃げにくくなるな」
「殿 (しんがり)役ですね」
孫市の話にお香が答えた。
「そうだ。よく知っているお嬢さんだ。その殿 (しんがり)
を秀吉が申し出てその責を担ったものだからあとが大変だっ
た。「金ヶ崎の退き口」と呼ばれるものだが、雑賀鉄砲衆
を五十人連れてきていたので撃って撃って撃ちまくりで、
何とか秀吉を助け、奴はこの退却戦を乗り切り、織田家中で
の評価がさらに高まっていくのだが」
「その秀吉に最後は雑賀衆がつぶされてしまうんですね(一
五八五年の秀吉の紀州攻め 第1部関ケ原激闘編四九 五十
参照)」
お香が孫市の言葉を補った。
西山浄土宗の総本山高明寺は法然上人ゆかりの寺で、一一
九八年開山。
京都西山の一角、長岡の地にあり秋は紅葉の名所でもある。
総門を入ればなだらかな参道が続き、その両脇にはもみじ
の巨木が並んで、圧倒的な紅葉で参詣の人々を驚嘆させる。
また参道と平行した道がもみじの木々を壁にして左側にあ
り、参道を上がり、御影堂(本堂)を正面に見て、左側に曲が
ればその平行した道を下って行くことになる。
この道は参道ほどの幅の広さはないが、「もみじの馬場」
といわれ、紅葉のトンネルをくぐるような趣で歩く者を楽し
ませてくれる。
高明寺の雑賀孫市を訪ねたお香は、彦根の有田屋で孫六か
ら言われた通り寺男をしている木兵衛に会いたいと、総門の
入り口近くにいた僧侶に声をかけた。
気楽に応じてくれた僧は、参道の中間あたりで落ち葉を掃
いていた男に声をかけ、そのまま参道を上がっていった。
降りてきた男は丸顔で愛嬌のある顔をしていた。
背は高くはなく一六五センチほどか、お香と同じくらいだっ
た。
年は孫六より十歳上であるから五十六のはずだが、四十代
前半に見え、孫六より若い感じがするのが不思議だった。
(本当に雑賀孫市なの。孫六さんに全然似てない。別人では)
そう思いながらお香は、
「木兵衛さんですか」
と念押しをした。
「そうじゃが、お嬢さんは、どちら様だったかの」
「お香といいます」
「お香さんか、覚えがない。年か、ヤバイのぅ」
「ウウーン、ヤバクないですよ。これ」
お香は孫六の手紙を差し出した。
男は口許に笑みを浮かべたまま、手紙を読み、
「ここは入り口だから人の邪魔になったらいけんな。上にあが
るか」
といいさっき落ち葉を集めていた所まで歩き、参道脇に座っ
た。
お香も横に座った。
「孫六の手紙では、お香さんは堅田湖族衆総代の岡本邦源様の
娘さんというが、何故に孫六の手下のような真似をしているの
か」
座ったお香に鋭い物言いをした。
その孫市の「気」でお香は真後ろに倒れてしまった。
「ハハハハッ、すまんすまん。ちょっときつかったかな。冗談
だ。ごめんちゃい」
お香を起こしながら孫市はあやまった。
「やっぱり迫力ありますね」
「何をいうねん。たんなる寺男に迫力なんかありますかいな」
とひょうきんに言い、若干真面目な顔になって言葉を続けた。
「信長の遺書のことで、太田牛一の居場所を教えてもらいたい
とのことだが、信長についてはあまり詳しくは知らないのだ」
以下は冒頭の記述に続くのだが、孫市は信長より秀吉との直
接の付き合いが多かったことを、話し出したのである。
以下百五十六に続く