第三部江湖闘魂完結編百四十四「悪人とは 孫六1」
第三部江湖闘魂完結編百四十四「悪人とは 孫六1」
「本多忠勝様の伊勢桑名藩。板倉様、本多様にお頼みして
は。無論、私も今すぐ彦根に立ちまする」
「藤堂殿が直々に動いてくださると聞いて、大変に心を強
くし、元気をもらいましたぞ。自分が動ければよいのだが、
事務しか出来ぬわしも文弱で、お願いいたします」
頭を下げて板倉は感謝の気持ちを表した。
高虎の話を聞くうちに、板倉は頭痛と肩こりが治ってい
くのを感じた。
板倉は藤堂家を退出して所司代に戻った後、喜市包厳ら
六名の伊賀者を呼び、、己の警備役にして馬で京を深夜に
出立した。
翌十一月五日早朝桑名城に入り、本多忠勝に彦根藩探索
の依頼をするが、忠勝は家康から駿府に呼ばれていて、六
日の午後に帰る予定であり、残念ながら留守であった。
そのため板倉への応対は、筆頭家老の梶金平と雑賀孫六
がした。
一方公家方も烏丸中将家に大化の改新以前から仕える植
山衆がひそかに京都所司代を監視していた。
四日深夜の所司代のあわただしい動きにはすばやく反応、
京をでる早馬を追い、桑名まで追跡した後、そのまま京に
戻り、所司代と桑名藩に何らかの動きありと、烏丸中将成
幹に報告する。
成幹はその報告を九条兼孝の屋敷に告げにいった。
九条家は、彦根に本多家の者たちが潜入する可能性もあ
ろうと急ぎ彦根に密使を送った。
すでに九条家と彦根藩は密接な関係で、彦根藩内部は怨
霊と悪魔の巣であると言ってよい状態であった。
九条家の情報を受け、彦根藩は万全の準備をして、本多
家の彦根潜入を待ち受けることになった。
ただ植山衆にとって不運だったのは、まさか真夜中に板
倉勝重自らが桑名に出向くと想像できなかったことである。
もし板倉と気づけば、板倉たちを帰りの道中で待ち伏せ
し暗殺するという行動もとれたはずで、それが出来なかっ
たのは、後から考えれば長蛇を逸した感がある。
いずれにせよ、彦根藩は十一月五日にはすでに桑名藩の
動きを監視しその動きに対応した体制を作るゆとりがあっ
たのだ。
桑名城で、板倉の話を忠勝に代わり聞いた梶金平と孫六
は、直政の死に関しては自分たちも納得がいかなかったこ
ともあり、家康上洛のために後顧の憂いを断つべく彦根藩
を調べたいという板倉の考えに賛同し、梶金平が明言した。
「必ず、明日忠勝様が帰られたら、板倉様のお考えを伝え、
七日早朝には隠密を出立させまする」
その言を聞いて板倉は、高虎の言葉を思い出し、
「隠密役には是非、井原正英という者を選んでいただきた
いのだが。京で藤堂殿より凄まじい技を持つ者と聞かされ
ましてな」
と要望をだす。
以下百四十五に続く
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