江湖闘魂完結編百三十二「元気です真田です」
「突きまくって突きまくってガンガンやりで、グハハハッ」
「やはり、お若い。麿 (まろ)はもう六十と三つあまり。とて
もそのような元気は」
「何の何の、南野陽子。わしとてもう五十五歳。から元気で
ござる」
「で、そのあとは私がガンガン突きまくりで、腰をいれてしっ
かり突きました」
「まぁ、そのあとは息子殿が、親子そろってがんばりますな
ぁ。ホホホホホッ」
扇子を口にあてながら笑うのは、従一位右大臣菊亭晴季(き
くてい はるすえ)である。
話は若干さかのぼり、一六〇二年十月の終わり。
場所は紀州九度山の真田庵。
すでに冬の足音が聞こえる山の秋の夕暮れ。
真田庵に集いしは、菊亭晴季とこの庵の主である真田昌
幸と息子の幸村、そして三名から離れて護衛役の猿飛佐助
が座っている。
真田父子(第一部三九から四二参照)は、菊亭の訪問を自
分たちが捕まえた、いのししの鍋で迎えた。
そして、檻 (おり)の中にエサを置き、いのししを誘い
込んで檻を閉める仕掛けの話をし、さらに檻に入ったいの
ししを出来るだけ傷つけずに殺すため(良い肉を得るには、
槍の一突きで殺すのが最良。鉄砲などでいのししの部位を
損傷させるのは下の下の狩猟法である)に槍をどう突いたか
を、
「突きまくってガンガンやり(槍)で」
としゃべっていたのである。
今読んでて、変なことを考えた人いませんか―。
元に戻りま―す。
江戸時代に作成された『真田家系図』に拠れば、真田氏
は清和源氏の発祥で、数代を経て昌幸の父幸隆の時代に信
濃真田郷を領して以後、真田姓を名乗るようになったとい
う。
もともと京都の公家とつながりの深い家柄であり、昌幸
は菊亭家ゆかりの娘を妻としていて、菊亭家とのかかわり
は古くからあった。
ただ、いくらかかわりがあっても、真田父子は徳川家に
より、紀州九度山に幽閉されている身である。
菊亭家と真田家のあいだで自由な往来など出来るはずが
ない。
菊亭晴季は、高野山参内の名目で京を出て、高野山の通
り道にあたる九度山の真田庵にひそかに入ったのである。
なぜそこまでして、紀州に来たか。
真田父子に、「信長の遺書」の探索と事あるときは豊臣
家のために再度立ち上がってくれることを、頼みにきたの
だ。
言い換えれば、わざわざこの一六〇二年の十月の終わり
に危険を冒しても、紀州に来なければいけない事情が菊亭
晴季にあったのである。
それは徳川家康の源氏長者と征夷大将軍任命への動きの
活発化であった。
来年の初めにも詔 (みことのり)が出る可能性があり、最
後の詰めのため、現在駿府にいる家康自らが、十一月か遅
くとも十二月までに天皇に内密に拝謁し、会談をするとい
う情報が菊亭の元にもたらされたのである。
ただその情報は朝廷内では公然の秘密であり、既定の路
線ともいえるものだった。
ここで菊亭晴季について述べれば、秀吉に関白任官をも
ちかけ、その功績で秀吉から従一位をもらた男であり、豊
臣と朝廷のパイプ役であった。
関白は、百官を統率して政務万端を行なう。
天皇の代理を務める摂政と、実質的には違わない。
摂政は、天皇の宣命を代書することが許される。
関白には、それができない。
摂政と関白の違いは、それだけのことである。
関白になることができたのは、日本史上藤原氏以外に豊
臣秀吉とその甥の秀次の二人しかいないのであった。
つまり、菊亭は氏素性がこれほどはっきりせず、超のつ
く成り上がり者である秀吉を、日本一尊い豊臣家に作り変
えた手品の仕掛け人であり、実行者であった。
秀吉が褒美に菊亭に従一位をやったのは、当然のことで
ある。
しかし、今はどうか。
秀吉は死に、関ヶ原以後、時代は徳川であり、朝廷内で
は徳川のパイプ役勧修寺晴豊の勢いに押され、また反徳川
派の首魁、関白九条兼孝は武家嫌いで、豊臣とも距離を置
こうとしていた。
歴史という大河の大きなうねりの中で菊亭は、岸に打ち
上げられた魚であった。
もう一度、水を求めるためには、家康に対抗できる力を
豊臣が持つしかない。
しかし大阪城の幼い秀吉の遺児秀頼のまわりには、軍事
的にも政治的にも実力ある者がいない。
来年にはあろう、徳川家康の源氏長者と征夷大将軍任命
の詔が出るまでを座して待つことなど、菊亭に出来るはず
がなかった。
もし「信長の遺書」が手に入り、さらに真田父子が豊臣
家の支えになってくれたら、これほど心強いことはない。
真田父子は、菊亭にとって最後の頼みの綱であった。
「今の状況は革命でおます。信長のパープリンが死んで秀
吉さんは、公家側の関白さんでがんばってくれはった。日
本古来の公家の祭り事の時代が到来したんです。それをあ
の勧修寺が狂ったように徳川家康こそ日本を救うお方、源
氏長者と征夷大将軍任命をと歌いまわってとうとう、任命
直前の段階になっておます。パートヨ(はるとよ)の武家び
いきは朝廷の存在意義を消し去るものでおじゃる」
菊亭は、真田父子を前に、ため息まじりに言う。
家康の源氏長者と征夷大将軍任命の話を聞いて、真田父
子は驚く。
「家康のカスが征夷大将軍になって幕府を開けば、朝廷以
上に豊臣の存在意義は消えていきますな」
昌幸がいった。
「そうでおじゃる。麿も豊臣もバッタンキュ―と倒れて終
わり。昌幸がもう一暴れといっても、お前も何もできぬよ
な」
菊亭はわざと昌幸を挑発し、昌幸のケダモノじみた闘争
心に火をつけようとした。
「誰ができねぇんだあよ」
もう一人のケダモノ、息子の幸村が乗ってきた。
「できはるなら是非、豊臣のために一肌脱いで下さらんか。
豊臣とてこの状況を指をくわえて見ているわけにはいかん
からな」
「任せなさぁーい」
真田父子は、同時に右手を高々と挙げて同意した。
以下百三十三に続く
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