第三部江湖闘魂完結編百二十六「井伊直政の首」
小説家になろう」の2007年1月1日からこの12月までで、歴史ジャンルのアクセスの数はこの琵琶湖伝がナンバーワンでした。何とアクセス一位回数三六二回。三六二回も1位にしていただいた読者の皆様に感謝します。
もともとこの「琵琶湖伝」は「直政の首」という原稿
用紙四十枚ほどの短編でした。おふざけなしのくだらな
い作品で破って捨てましたが、井伊直政の死の不自然さ
が「直政の首」のモチーフでした。その死については、
五十七、五十八をお読みください。また涼単寺のモデル
は彦根の龍潭寺ですが、その寺の門前には石田三成の坐
像があります。龍潭寺は彦根駅から右手に行き徒歩二十
分くらいのところにある閑静で由緒正しいお寺です。
では第三部の始まりです。
第三部江湖闘魂完結編百二十六「直政の首」
「石田三成は死んでいない。あのお坊様は似すぎている
どころか本人そのものだ」
孫六が己の周りに座る井原正英らを見回しながらいっ
た。
昨夜、孫六は一歩十蔵とともに涼単寺に潜入し、天井
裏からはっきり確認したのである。
「なんとその部屋には、木俣守勝様と並ぶ井伊家の実力
者広瀬将房 (ひろせまさふさ)がいて、その坊主に「石田
様」といっておったわ」
正英は、
「あの夜、血の海の中で死んでいた三成似の坊主と同じ
人間か。やはり、あれは芝居で生きていたのか」
と独り言のようにつぶやく。
「三成似の人間がそういるものか。猿芝居よ。正英らが
涼単寺に来ることを知ってやったのであろう。誰がこの
情報を井伊に、いや広瀬たちに売ったかはわからぬがな」
孫六が吐き捨てるようにいう。
「しかし、なぜ三成が平気な顔をして彦根にいるのです
か」
良之介が孫六に問うと孫六の代わりに正英が答える。
「三成は、関ヶ原後に捕縛されてから十月一日京の六
条河原で刑殺されるまでのあいだ、その身柄を井伊直政
様があずかっていた(司馬遼太郎氏「街道をゆく二十四
近江散歩」琵琶湖伝三十三「真田信幸」参照)。そのとき井
伊家の者の手でにせ三成と入れ替わったのであろう。死
んだのは偽者で三成本人は井伊家の者たちにかくまわれ
て彦根にいたのだ」
「なるほど、そう言えば三成は処刑される前に、のどの
渇きを覚え、周りの護送役の者に水を所望し、水の代わ
りに柿が出されたところ、体に悪いと拒否した逸話がの
こされているが、死ぬ直前のものが、体に悪いからなど
と明日も生きるようなことを言うのは不自然な話だと、
前から思っていた。今から死ぬものが何をいうと護送の
ものたちが大笑いすると、三成は死ぬ直前まで武人とし
て明日を考えたいと言ったそうだが、出来すぎた話だ。
三成のにせ者が己は処刑されるなどと思っていなかった
としたら、柿を拒否した話も自然に聞こえるな」
十蔵が正英の考えに同意するように三成の逸話を述べ
た。
「それならば、井伊直政様は三成が偽者と入れ替わった
ことに気づかなかったのか。死ぬまで同じ彦根にいたの
に気づかぬとは、あまりに迂闊ではないか。まさか直政
様も三成を護った一人か」
孫六が誰にともなく疑問を投げかける。
「いや私が三成に似た僧を見たのは、直政様の死後、涼
単寺が建立されてからのこと。それで驚いて孫六様に報
告したのです。おそらく直政様が死ぬまで、三成はどこ
かに隠れていたのでしょう」
十蔵が孫六の疑問を否定すると、正英もそれに続いた。
「私も直政様は何も知らなかったのではないかと。それ
どころか、知られてこまる者どもに殺されたと考えてお
ります。だからこそ暗殺の証拠を消そうと火葬にした(
琵琶湖伝五七、五八、六九参照)のでしょう。ただ墓の
中に骨が残っている。毒殺ならその骨から分かります」
「うん、だからこそ、忠勝様の命でこの孫六も彦根に入っ
たわけだが、三成存命とわかれば、直政様が暗殺された
ことは確実だろう。三成をいかし、直政様を殺したのは
誰かとなるが、昨夜三成似の僧と話していたのが、井伊
家内の旧武田家家臣団(琵琶湖伝その4「失われし時を求
めて」参照)の指導者、広瀬将房だ。三成をかくまい、直
政様がそれに気づかぬとなると、井伊家中でもかなりの
実力者であろう。家老格の広瀬なら、謀反人の資格充分、
主殺しの大悪人にして、三成をかくまう徳川に弓引く者
だ」
孫六の口調は熱気を帯びてきた。
「広瀬将房が謀反の指導者ならば、井伊家の中心を占め
る旧武田の者どものかなりが、いやもしかすると全員が
直政様暗殺に加担している可能性があります。直政様の
首をとり、井伊家を乗っ取ったやからがいるのですね」
正英はそう言うと両方の手の平を合わせ、虚空を凝視
した。
以下百二十七に続く
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