第二部琵琶湖決戦編百十六「邦源との対話
第二部琵琶湖決戦編百十六「邦源との対話」
明治から昭和の初期を生きた作家近松秋江(ちかまつ
しゅうこう)は、大正八年(一九一九年)の随筆「湖光島
影」の中で、堅田の浮御堂についてその近くの船着き
場の桟橋から眺めた光景をこう述べている。
「浮御堂は、その棧橋を渡りながら右手の方の汀から
架け出してあるのが見えている。緑の濃い松が數株そ
のまはりの汀に立つている。芭蕉は、
錠あけて月さし入れよ浮御堂
と詠んでいる。叡山横川の恵心僧都の創建で海門山
滿月寺といつているのは、ふさはしい名である。中に
は千体阿弥陀仏を安置してある。やがて船が着いて私
はやつと湖上に浮ぶことが出來た」
この文章から三百年前、近松秋江が琵琶湖にでた同
じ堅田の船着き場から、一艘の船が早朝の出発をめざ
し準備を進めていた。
その「右手の方の汀」にある浮御堂の回り廊下に腰
を下ろし、黒洞洞たる夜の世界から青く光る世界にか
わりつつある湖面を見つめる二人の影があった。
一人は岡本邦源、もう一人は井原正英である。
きのうの夜、岡本邸を訪れた正英と良之介は、邦源
のもてなしで良之介は、大いに飲み食べ、下戸の正英
は大いに食べた。
途中からお香も宴席に加わり、さらににぎわう。
邦源は良之介を正英と誤解したことで、正英にすま
なく思い、彦根潜入という正英の願いをかなえるため、
翌朝彦根行きの船を出すことを約した。
夕方までに彦根に運べばよい荷があり、その船を早
めに出すことにした。
武術に自信のあるお香も正英らと行動をともにする
といいだす。
「それなら、娘が大垣に遊びに行きたいと申すので、
用心棒の男と荷物運びの小者をつけましたと彦根に着
いたら井伊家の船係りいおう。あとは袖の下をいくら
かかがせればよい」
と邦源が案をだした。
正英も良之介もその案に感謝し、翌日に備えて宴席
はお開きになった。
朝五時には起き、旅支度を二人がしていると、使い
のものが来て、
「邦源様が、正英様と少し話がしたいと、浮御堂でお
待ちになっております」
とのこと。
正英は、良之介にあとで会おうといい、旅支度をし
て浮御堂にむかうと、湖面に足を出しながら浮御堂の
回り廊下に座っている岡本邦源がいた。
「わしは武術の修行が若いころから大好きでな」
「それは私も」
「うん、お香から聞いたが相当な使い手らしいな。な
んせ本多忠勝様の一の弟子にして、戸沢白雲斎様から
も技を伝授されたものなどそうはいない」
「それでいえばお香さんも。岡本邦源様と戸沢白雲斎
様から」
「いや、わしは本多様ほどの技はないぞ」
岡本邦源の言葉は、正英には謙遜にしか聞こえなか
った。
昨夜体験した琵琶湖激誘波だけでも、忠勝様でも勝
てないだろうと正英に思わせるには充分なものであっ
た。
「別に武術自慢のために出立の前に正英殿を呼んだの
ではない。本題を言おう。絶対に知ってもらいたいこ
とがあってな」
そこで一呼吸置き、
「お香はわしの実の子供ではないのだ」
といった。
邦源の口調は、この夜明け前の静寂のなかに溶け込
むような、穏やかなものである。
事柄の重大さと口調の落差が正英をとまどわせ、
「いま何とおっしゃられましたので」
と聞き返させていた。
以下百十七に続く