第二部琵琶湖決戦編百十三「秘薬 黄泉参り」
第二部琵琶湖決戦編百十三「秘薬 黄泉参り」
宮内平蔵を助けた者たちはいったい何者であったのか。
山内記念が聞いたところでは、次のようなことである。
平蔵を追う暗殺隊の前に十名の敵が立ちはだかり、大
乱戦になったという。
その中で暗殺隊も三名が死んだが、邪魔にはいった敵
を五名切り倒し、あとは逃げたが、手傷を負って逃げ遅
れた一人を捕まえ問い詰めると、「植山」という言葉を
吐いて死んだ。
しびれ薬から覚め、通りにでてきた喜市包厳が、
「それは植山衆のことであろう」
と推測したそうな。
植山衆とは、大化の改新以前から烏丸中将家に仕える
暗殺集団であり、卍手裏剣を多用する。
現在の植山衆の頭領は、植山仁斎であった。
喜市の推測は当たっていた。
植山衆は、京都所司代が伊賀者を使い、烏丸中将家を監
視していたように、京都所司代を見張っていたのである。
そして、ただならぬ所司代の動きを見て、植山仁斎は植
山衆を集めたが、急ぎのことでなんとか十名を集め、遅れ
ばせながら暗殺隊のあとを追い、事に備えて近江屋近辺に
待機していたのだ。
ちなみに、宮内平蔵を馬で助けた者は、植山仁斎自身で
ある。
この植山衆の参戦で一番得をしたのは、高西暗報であろ
う。
暗報は平蔵と逆の方向に逃げたのち、何の妨害も受けず、
さきほど平蔵と部屋で最後に交わした「夜の雨に松」を求
め、おち合い場所の唐崎神社を目指していた。
唐崎神社は大津宿を琵琶湖にむかい西に行けばすぐであ
り、日吉大社の摂社で、近江八景のひとつ「唐崎の夜雨(
からさきのやう)」で知られる景勝地である。
時代はこの琵琶湖伝第二部の一六〇二年よりあとになる
が、松尾芭蕉が「唐崎の松は花より朧にて」と詠んだほど
松で有名な神社であった。
雨もやみ、月も出てきた夜道を、その唐崎にむかい、足
取りも軽く、水溜りを避けながら暗報は歩いていく。
その月を背にして、暗報の正面に立つ人影があった。
暗報は立ち止まり、闇に覆われた顔に眼を凝らした。
その顔は、あの草津の街道で優しげな言葉で己を助けて
くれた百姓のうち、万作という名の若者のものであった。
「おい、万作だったよな」
暗報は、気楽に声をかけた。
「わしはあまり心臓が強くないのだ。太りすぎでな。だか
らびっくりさせんでくれよ」
暗報は、突然に道をふさいで現れた若者に注意をするよ
うな口調である。
「俺の名は霧隠才蔵だ」
才蔵は、暗殺隊の植山衆との混乱の中で唯一、暗報の動
きに気づき、追いつくことに成功したのだ。
「君はわしにウソをいったのか。わしはお前たちの情けに
涙を流して喜んだのだぞ。それがすべて、わしに平蔵の居
場所を教えさせるための芝居だったとは。おじさんの心を
傷つけて、うれしいのか」
「何を意味不明な。おぬしらに殺された伊賀者の仇をここ
で討たせてもらうぞ。覚悟せい」
才蔵は、そういいながら、刀の柄に手をかけ、ツツツッ
と前進する。
「おぬしは、わしの心を傷つけたの・・・・・・・」
暗報は、同じことをまた言い出したが、呂律が回らなく
なっている。
「オギュン、ニャオフンゥ・・・・・・」
何を言ってるのかわからぬまま、月光に照らされた暗報
の顔は、青白くなり血の気が引いている。
暗報はそのまま心の臓あたりを押さえてうずくまり、水
溜りのなかに倒れこんだ。
才蔵は、芝居でもしているのかとしばらく様子をうかが
う。
身動きひとつしない。
用心深く背後にまわり、泥だらけになった暗報の顔を覗
き見る。
瞳孔が開き、脈もみたがしていない。
明らかに心臓の発作に襲われ、才蔵が仇を打つ前に、絶
命してしまったのだ。
才蔵は、
「フゥー」
と大きくため息をつき、暗報の眼を閉じてやると、近く
の地蔵様の傍らに運び、仰向けに寝かせた。
「南無阿弥陀仏」
運命のどうしようもない不思議さを感じながら、念仏を
唱えた後、才蔵は暗報の亡き骸から離れ、その場を去って
いったのである。
以下百十四に続く
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