第二部琵琶湖決戦編百十「青葉屋襲撃」
「ふーん、井原正英には、毒が効かないのですか」
宮内平蔵が、手酌で酒をグイッと飲み干していった。
「おそらく、あれは、わしと同じ毒使いだな。その修行
の結果として、毒が効かぬ体になったのであろう」
「暗報さん、毒といってもしびれ薬程度で、死ぬような
毒には耐えられないのでしょ」
「そうだが、それはわしも同じ。なめるくらいなら大丈
夫だが、木の葉がえしの木の葉に猛毒を塗ってしまった
ら、相手が死ぬ前にわしが死ぬからな」
暗報が、食っていた焼きおにぎりをのどに詰まらせ、
眼を白黒させながらいったので、その様子に宮内平蔵の
口元がゆるむ。
暗報は茶を飲んで、のどのつかえをとり話を続ける。
「なにが居合いの達人だ。毒使いということも教えてく
れんとな。危なく殺されそうになったのだから。成幹様
も中途半端な情報を信じられたものだ」
「しかし、草津に来るという情報は間違っていなかった
のですから、しかたないですよ」
「何がしかたないですよだ。わしの身になれ。怖かった
んだぞ」
暗報は、青葉屋の土間で点欠を解かれて、自由になっ
たあと、一風呂浴び、夕食をとりながらの、今日の報告
をして、忙しかった一日の終わりをゆっくりとくつろい
でいたのだ。
二人の部屋は通りに面した二階であるが、すでに午後
九時。
昼間の賑わいがうそのように通りは静かになったが、
旅籠の中は、旅の疲れをいやしている人々の声が、そこ
ここに満ち溢れてにぎやかである。
「しかし、あの百姓たちには助けられた。くるまに乗せ
てここまで運んでくれて、金のためではない、自分のため
でもあるというのだからな」
「ウーン、世の中には損得抜きで動いてくれる人間がいる
んですかね。暗報さんを助けても、何の得にもならんでし
ょうに」
不意にザーッという音がして、瓦や地面を叩く音が聞こ
えてくる。
雨が降り出したのであった。
暗報は、雨戸を閉めようと、障子を開けた。
向かいの店の軒先で雨宿りをしているのか、男たちの姿
が見える。
「暗報さん、なにか階下が静かになった気がしませんか」
暗報に、宮内平蔵が問いかける。
「外は雨でうるさくなり、中は物音ひとつしなくなった。
情けは自分のためか・・・・・・」
暗報は振り向きもせず、つぶやくようにいった。
「暗報さん、夜の雨には松が似合ったよな。」
「平蔵、唐崎神社で逢おう」
そういうのと、廊下側の障子が蹴破られるのは同時であっ
た。
暗殺隊の一人が声もたてず、斬り込んだのだ。
「ウグッ」
その者の心臓を、一瞬にして宮内平蔵の剣が貫き、突き入
れた剣を平蔵は、ひねりながら抜いた。
飛び込んだ者の全身に向かうはずだった血が、外に噴出し
た。
部屋は血の海となった。
次に入ってきた暗殺者は、血に足元をすくわれ、体勢を立
て直そうとしたときには、平蔵の刀に胸板を突き刺されてい
た。
平蔵は、すぐさま抜き戻す。
暗報は、小さな丸い玉をだすと、廊下に投げた。
パーンとはじけた玉から白い煙がでる。
暗報特製のしびれ薬の粉が廊下に充満していく。
平蔵が、通りに飛び降りた。
薬をかがないためと、先に出て、暗報の血路を開いてやる
ためである。
以下百十一に続く