第二部琵琶湖決戦編一〇八「才蔵の涙」
第二部琵琶湖決戦編一〇八「才蔵の涙」
午前一時に大津にはいった暗報と平蔵は、烏丸家なじ
みの旅籠屋「青葉屋」の戸を叩き、すでに休んでいた店
のものを起こし、極秘裏に泊めてもらう。
「青葉屋」は、二人にとって大津唯一の安全地帯であ
る。
ただし暗報は茶をすすっただけで、一人草津にむかう。
おそらく今夜殺したものの仲間が、大津近辺を血眼で
さがすのは眼に見えている。
そのとき、探すのは平蔵の顔であり、暗報の顔は割れ
てないであろう。
烏丸邸をでたときから、平蔵は尾行がついていること
に気づいていた。
そいつらをいつ殺すか、機会をうかがいながらの大津
行きでもあった。
編み笠に隠れた暗報の顔は割れていない、と考えるの
に無理はない。
そして自分の顔は割れている。
平蔵が暗報に単独行動を提案したとき、暗報は即座に
平蔵の意を解し、東海道を下っていったのである。
同じころ、霧が深く立ち込めだした真夜中の逢坂山の
坂を、声を殺して泣きながら下っていく霧隠才蔵の姿が
あった。
坂を上り、下りにかかる蝉丸神社の草むらに、かすか
に光る忍び火を見逃さなかったのは、才蔵自身であった。
そしてその二つの遺体を最初にみつけたのも。
もし己が京に報告に戻らねば、いや死んだものが戻っ
ていたら。
「お前が一番若いから」
という理由だけで、才蔵は、所司代のものが来ていたら
いけないと、死んだ二人に暗報の家に戻されたのだ。
人の生死を分けるのは偶然か。
その不条理が才蔵の精神のバランスを崩し、さっきまで
いっしょに生きていた者たちが消失した感覚が悲しみを生
み、涙をとめどないものにした。
暗殺隊の責任者である喜市包厳も才蔵の忍び泣きに同調
し、泣きたくてたまらなくなった。
(泣くのは、宮内平蔵と編み笠の男を殺してからだ)
そう自分を奮い立たせ、大津宿に入る。
大津には、伊賀者の隠れ宿「近江屋」があり、見かけは
普通の旅籠で、かなりの評判である。
喜市包厳は、近江屋の手前で暗殺隊の足をとめさせた。
自分を含めて伊賀者十二名、同心八名。
「才蔵、編み笠の男について何か特徴はないか」
わざとぶっきらぼうに、声をかける。
「はい、・・・・・・今考えますと、かなりの小男で、
着物がみすぼらしい感じで、一度笠を脱いだのが、遠目
に見えて、その頭が・・・・・・何か光ったような」
「それはハゲではないか」
伊賀者の中から声が挙がる。
「こらっ」
それを叱る声。
実は喜市包厳は、見事なほど毛のない「ハゲ」なので
ある。
「いいや、叱るな。遠目で光って見えるとは、相当な「
ハゲ」だな」
喜市は深刻な顔をし、己の頭をなでた。
「クッ」
何人かは、その様子のおかしさに吹き出しそうになる。
若干、和らいだ空気が流れたところで、
「近江屋を捜索の本部とし、わしと副組頭の藤木陣内が
控える。他は二人一組で宮内平蔵とハゲの小男で汚い着
物を身につけた浪人を探せ」
と指示をだした。
さらには、全員が宮内の顔を知っている伊賀者と同心で
一組とした。
伊賀者だけの組が一つできたが仕方ない。
また落ち込みようの激しい霧隠才蔵には、同心の中の責
任者である山内記念に組んでもらった。
山内ならなんとか才蔵をうまく動かしてくれるのではと
思ったのだ。
暗殺隊を大津近辺に散らばらせるからには、全員がそろっ
て攻撃ができるわけもなく、見つけた時点で近江屋に知ら
せるようにと厳命した。
西へ東へと散らばっていくなかで、山内と才蔵の組を喜
市は残した。
攻撃の人員不足を補うために喜市は、大津を管轄する膳
所(ぜぜ 滋賀県大津氏膳所)藩に急いで応援依頼を申し込
もうと考えていた。
そのとき、正式な所司代の役人がいたほうが、話が円滑
にゆくというものである。
一六〇一年、徳川家康は、大津城を廃城にして大津と瀬田
の間の膳所に城を造る。
藩名も大津藩から膳所藩に変わる。
膳所藩は三万石であり、藩主は徳川家譜代の戸田 一西 (
とだ かずあき)。
琵琶湖のしじみ漁などに力をいれ、関ヶ原の戦いの影響で
荒廃した大津地域の復興に全力を傾注していた。
その膳所城内で、夜が明けきらぬうちに、喜市と山内は膳
所藩の奉行、世良次郎三郎と面会し、藩内の腕達者を六名、
昼までに近江屋に送ることを約してもらった。
喜市たちが、城の外に出たのは、空が明けだしたころであ
る。
「今からどちらに向かいますか」
喜市は山内に問うた。
「ここまで来たなら、草津方面をまわろうかと」
山内が答える。
「努力はしてもらいたいが、最後は天運と思えよ」
喜市は、霧隠才蔵の顔を覗き込んで、優しげにいった。
以下一〇九に続く
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