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琵琶湖伝  作者: touyou
11/208

第1部関ケ原激闘編11「狂風路引弓」

 その十一「狂風のみちに弓を引く」


 全員が集まったがその数四五〇。

 豊久の家臣が六〇、長寿院が三〇名。

 あとの三六〇名で義弘を守ることになる。

 豊久の家臣は、豊久の父家久のもとで島津家の九州

統一戦に参加し、さらに家久の死後は豊久の朝鮮の役

での奮闘を補佐してきた歴戦の勇士である。

 義弘が豊久が生きる可能性として先鋒を考えたのも、

この家臣たちが、猪突猛進的な豊久を充分に支えきれ

ると判断したからである。

 しかし豊久自身は、この先鋒役を島津一族の人間の一

人として、光栄に思い、我やらずして、誰がやるのかと

いう気概を満たされ、義弘に感謝し、己の人生をこの

退き口 (のきぐち)に捧げる覚悟になっていた。


 全員を前に豊久は号令をかける。

「いまぞ島津の退き口の見事さを家康に見せるとき。先

陣はこの豊久とその郎党。しんがりは長寿院どの。義弘

様本陣は先手山田有栄、右翼は桂忠詮、左翼は新納旅庵

と川上忠兄 (かわかみ ただよし)。義弘様を囲い込み

敵に触れさせるな」

 端的にこの退却戦の意味と戦法、布陣を告げると、豊

久は静かに馬をあゆませ始める。

 その後を義弘を中央に囲んだ 島津兵がたおやかに進

む。

 豊久は自作の漢詩を朗々と吟じた。

「狂風路引弓 

 (狂ったように風が吹きすさぶ道で弓を引く者がいる)

  寂寞名手 

 (孤独な影をもった名のある者よ)

 一時倶無跡

 (その栄光の跡形は今やどこにも無い)

  桜島月朧

 (桜島の月は今も変わらず朧 (おぼろ)で美しいのに)」

 

 時は午後二時。

 秋の陽光が豊久の馬影を鮮やかに映しだす。

 その影が静から動に変わるとき、関ケ原史に名を残す、

島津の敵中突破の退却戦が始まる。

 すでに影は動に転じつつあった。

 以下十二に続く

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