第二部一〇六「京都所司代動く」
情けの話がかわされる前の夜のことである。
烏丸中将成幹の護衛役宮内平蔵が、烏丸邸をでたのを
知った伊賀組は、烏丸邸を常時監視(伊賀組は二十名が
京都所司代に派遣されていて、反徳川派の公家の中で一
番危険と思われる烏丸中将成幹の監視を任せられ、その
監視に昼夜二交代制で十名ずつ、という形であたり、そ
の十人一組の二つをまとめる伊賀組組頭は喜市包厳(き
いちほうげん)が勤めていた)する十名のうち三名に尾行
させ、一人を京都所司代に走らせ応援を求めた。
すぐに京都所司代の長官板倉勝重は、喜市包厳に対し
応援部隊として待機の伊賀者十名と喜市自らの出動を命
じ、さらに所司代の同心の中から腕達者の十名を喜市に
つけた。
板倉勝重は同心の責任者には、選んだ中での最年長と
いうことで、山内記念という者を指名した。
同心たちはすべて、浪人姿の軽装に身を変えた。
山内たち同心は全員が公家監視の勤めをしているわけ
ではなく、残念ながら急遽呼ばれた山内も、宮内平蔵や
高西暗報の顔を知らなかった。
勝重は喜市と山内を出発の前に呼び、今年の一月に烏
丸中将成幹の暗殺を企て、失敗したことを話し、さらに
家康様から、
「スキあらば殺してよい」
との命令が下されていること(六十一節参照)も伝えた。
そして、
(将を射んとすれば、まず馬を射よ)
とのたとえをだし、烏丸中将成幹の片腕、宮内平蔵の
暗殺を指示した。
尾行役の三人から伝言を頼まれた岡っ引きの報告で、五
条橋からやや下った民家に宮内平蔵が入ったことを知った
喜市包厳以下の暗殺隊は、その民家の襲撃を図るが一足遅
く、も抜けの殻であった。
二十人もの打ち手をだして、何の成果もなしでは、喜市
の進退が問われてもおかしくない。
民家で思案に暮れていた喜市のもとに、烏丸邸からの三
人の尾行役の一人、霧隠才蔵が戻ってくる。
全力で駆けてきた才蔵は、息を切らしながら、宮内と編
み笠の浪人が、山科方面に移動中、まだここから六キロも
ないところにいるはずで、十分に間に合うとの報告をした。
その報告を聞くか聞かぬかのうちに、伊賀者全員が外に
飛び出す。
当然、才蔵も休む暇なく、走り出す。
山内記念は、同心二人を、この家に残し、
「この家の持ち主について調べよ」
と命じ、他の同心たちを引き連れ、伊賀者に続いた。
暗殺隊の一行は途中で足を緩める。
尾行の伊賀者が、道々に忍び火(しのびび わずかな光を
放ついまでいう蛍光塗料をぬった小さな筒)を置きだしたの
だ。
才蔵をいれて二十名もの集団が、いっぺんに近づいては気
づかれて逃げられるであろう。
ここは先をゆく伊賀者二名のものを信じ、彼らとつかず離
れずの距離をとり、追尾するしかない。
今、追尾が始まった山科周辺は古くから交通が盛んであり、
大津宿へ抜ける逢坂の関が東海道の要所として知られていた。
また逢坂から南へ抜ける奈良街道も存在する。
いずれにせよ、山科方面に宮内たちが行ったということは、
狙う相手がどの方面に行くにせよ、京都所司代の暗殺隊は、
とにかく逢坂山まで動くしかないということであった。
以下一〇七に続く




