第二部一〇五「情けは人のためならず」
宮内平蔵が、土間にいってみると、暗報が大八車に
仰向けに乗せられていた。
その横に二人の百姓が立っている。
一人は、四十前後か浅黒い丸顔で、百姓然としてい
るが、どことなく学問をしているような品がある。
もう一人は、まだ若く、細身だが百姓仕事で鍛えた
か、引き締まった体つきである。
「お客様、お連れの方でございますか」
店の主人らしき者が、宮内平蔵に問う。
「すまん。連れのものだ。おい、暗報さん、どうした」
主人に答えながら、暗報に声をかけた。
「平蔵か。点欠された。解いてくれ」
暗報が、わめいた。
顔を真っ赤にし、まるでゆで蛸である。
宮内平蔵は笑いながら点欠を解いてやった。
その間に、若い方の百姓がその場を去った。
フワァーッと大あくびをしながら、暗報は大八車から
降り、腰の辺りを両手で押さえた。
「ずっと、動けなくて、体中が痛いわ」
平蔵にそういうと、暗報は百姓のほうを見た。
「あらまぁ、一人消えたか」
「はぁ、今、米屋に連絡に」
「おぅ、そうであったな。おぬしらは、大津の米屋に
帰る途中であったな。ウン、ご苦労ご苦労。感謝して
いるぞ」
宮内平蔵が横から聞く。
「暗報さん、この者は」
「おう、身動きとれず、困っていたわしを、助けてく
れた百姓よ。こちらは宮内平蔵というお方だ」
「は、よろしくお願いしますだ」
暗報の紹介に百姓も慇懃に応対する。
満足そうに暗報はそれを見て、平蔵にいった。
「詳しいことは、お前の部屋に戻ってから話そう」
そして暗報は懐から財布を出し、財布ごと百姓に与
えた。
財布の重さに百姓は、
「こんなにもらえねぇだ」
と狼狽する。
「今、一人はおらぬが、どうか二人で山分けしてくれ。
情けをもらった礼だ」
暗報の優しい物言いに百姓は、財布から二両をだし、
あとは返して、
「それじゃ、二両もらっておきますだ。別に金のため
に助けたわけじゃねぇ。困ったときはお互い様で。情
けは人のためならず、自分のためでございます。失礼
しますだ」
といい、ニコリと笑って外に出て行った。
残った暗報と宮内平蔵は、宿の者たちにも頭を下げ、
二階の部屋に戻った。
外に出た百姓は、青葉屋が見えなくなるまでゆった
りと歩いたのち、突如、路地の暗がりの中に消えてい
く。
その消えた路地を抜けた所に、広い空き地があった。
百姓が、その空き地にでたとき、暗やみから、
「山内 (やまのうち)様、お疲れ様でした」
という声がかかった。
声の主は、さきほど青葉屋から消えた若い方の百姓
である。
山内と呼びかけられた者は、実は、京都所司代の同
心山内記念 (やまのうち きねん)であり、若い方は反
徳川の公家衆の監視のため、家康の命で所司代付きと
なっていた伊賀者のひとり、霧隠才蔵(きりがくれさ
いぞう)であった。
山内が、眼を凝らせば、すでに才蔵の背後に何名も
の者が整列している。
才蔵が先にでたのは、近くにいる仲間を呼びにいっ
たためであった。
「あやつらの命も、あとわずか。まさかあんな街道で
立ちすくんでいるとは。探すのに骨が折れたわりには、
あっけないもので。」
才蔵が、ほくそ笑みながらいうと、
「おい、これ」
と山内記念が分け前の一両を才蔵に渡した。
「これは・・・・・・」
「暗報さんがな、情けをかけてもらったお礼にと、く
れたのよ」
「自分を今から殺す者に、金をくれたので。山内様も
よくもらえましたね」
「いやぁ、私もいったんだが」
「なんとおっしゃられたので」
「情けは人のためならず、とな」
以下一〇六に続く
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