琵琶湖決戦編一〇四「秘伝独鈷比叡剣」
成幹は前に突き出した剣をゆっくりと手首をかえしな
がら回しだした。
次第にその回転の速さが増していくように宮内平蔵に
は思えた。
小さな風車が強風で猛烈に回りだした感じである。
そして、その風車の背後にいるはずの成幹の姿が、風
車の加速度を増す回転の中に消えていったのである。
今、宮内平蔵の眼前には、すさまじい速さで回ってい
く剣があるのみだ。
魔剣である。
どう攻めればよいのか。
まいったといえば、それで済むが、それは武術家とし
ての誇りが許さない。
どうせ追われる身であり、きのうも明日もないのだ。
あるのは、今日であり、今の一瞬だ。
死ぬことなど恐れては、こんな人生は送れるものか。
宮内平蔵は、刀を右斜め上にして、そのまま肩にかつ
ぐ形をとった。
体ごと風車にぶつかり、渾身の力を込めてかついだ刀
を振り下ろし所詮一本しかない剣にぶつけて、成幹の剣
を折り、そのまま胸板を突こうと考えたのだ。
仕官のことなど、もうこの男の頭から消えていた。
ただ強い敵に立ち向かい、全力で勝負するという武芸
者の本能が、体を支配していた。
その本能が、宮内平蔵を前に進ませようとしたとき、
成幹の剣が眼前に突き出されたのである。
反射的に首をひねると右ほほに痛みを感じた。
成幹の剣が掠めたのだ。
思わず、かついだ刀を前に振ったが、すでに成幹は宮
内平蔵の背後に回っている。
動こうにも成幹の剣が首筋にあたっていて、身動きが
とれない。
「まいった」
心底、宮内平蔵はいった。
本当に参ったのだ。
刀を前方に投げ、両手を挙げた。
「合格じゃ。ほほの傷をふきなされ。よい度胸でおじゃ
る。太刀を振る速さにも感心したぞ」
成幹はそういうと、剣を納め、庭から足早に去っていっ
た。
宮内平蔵が成幹の護衛役となったのち、成幹から直接に
聞いたのだが、このときに示した技こそ、烏丸家の秘伝、
伝教大師最澄直伝の独鈷比叡剣 (どっこひえいけん)であっ
たそうな。
宮内平蔵が座る青葉屋の二階の小部屋の障子の外から、
女中が声をかけた。
「お客さん、、高西暗報ってかたが土間でお客さんの名前い
って、呼んでくれって騒いでるんですが」
「上にあがれといってくれぬか」
「あのぅ、声はでてるんですが、体のほうがぜんぜん動かな
いみたいなんで」
そう聞くと、宮内平蔵は障子を開け、女中に礼をいい、階
段を下りた。
以下一〇五に続く