第二部琵琶湖決戦編一〇二「秋の午後」
正英は、起き上がるとふところから気付け薬をだして
良之介にかがせ、さらに毒消しの点欠もした。
良之介は、眼を何度もまたたかせ、何が起こったのか
を把握しようと躍起になった。
その様子がおかしくて、正英は笑いながら良之介を起
こした。
立ち上がった良之介は、中腰のままで眼を丸くして動
かずにいる、奇妙な小男を見てさらに頭が混乱したのか、
首をかしげだす。
「良之介、この男は風上から毒を放ち、我らを殺そうと
したのよ」
「えっ」
良之介は合点のいかぬ顔をする。
「この男を見かけたとき、臭いが流れてきたよな。その
ときは、はっきり分からなかったが、横を通りすぎたと
き、臭いの正体が、しびれ薬とわかったのよ。分かった
ときはもう、お前は十分に嗅いでしまっていたからな。
この乞食浪人がどうでるか、よし、芝居をしてやろう、
と思ったのだ」
「それで、お倒れに」
「ウン」
正英は、
(うまくいった)
という風情で頷いた。
正英と良之介は、点欠され身動きのとれなくなった男
をみつめる。
「名を」
正英が問う。
口はきけるのだ。
「高西暗報」
正直に答えた。
「なぜ、我らを殺そうとした」
今度は良之介が問う。
「名以外は言わぬ。早く殺せ。手足を削ぎたいならそう
せよ。名をいったのは、殺した奴の名くらいは、知らぬ
と寝覚めが悪かろうと思うてな」
「それなら、首の骨でも叩き折ってやろう」
良之介は残酷なことを薄ら笑いを浮かべていう。
正英は、腕を組んでうつむいて後、
「殺すまい」
といった。
「正英様。せめて拷問くらいはして、こやつにかかわり
のある者たちの名でも吐かせましょう」
「いや、吐くまい。では、殺すかといえば、それもした
くない。きのう俺は六人もあやめた。ただ向こうから挑
んできたと言い訳はできる。しかし、この身動きのとれ
ない男を殺せるのか。俺はその気にはなれん」
「おい、わしを甘くみるな。今、殺さないとあとで後悔
するぞ」
暗報が、忠告めいた言葉を口にした。
「何をえらそうに。殺してもらいたいのか」
良之介は暗報の頭をポカリとたたいた。
「お前は、身動きのとれない人間には、本当に強いな」
正英が良之介に声をかける。
「私は、自分より弱い人間には、滅茶苦茶強いんです」
冗談のような理屈を良之介は真面目な顔でいった。
正英が苦笑すると、良之介もニヤリと笑い、
「行きましょうか」
という。
「お前ら、後悔するぞ。見くびるな。おい、点欠を解か
ぬか。野良犬にでも襲われたらどうするのだ。わしはい
つでも死ぬ覚悟はあるが、犬に殺されては、人として情
けないぞ。聞こえぬのか」
正英は、点欠を解かなかった。
殺されかけたのである。
それくらいのことは、してもいいだろうと考えた。
二人が去ってゆく背後で、暗報の恨めしげな声が響く
秋の午後である。
以下一〇三に続く