第1部関ケ原激闘編10「島津の決断」
「決めた。わしゃ死なん。薩摩に帰る。ただ
し、徳川に島津の恐さも見せる。中央突破で
正面の井伊の陣を抜け、本多の陣に向かうよ
うに思わせる。本多の後ろが家康本陣じゃ。
はっきり家康にわしらの逃げ方を意識させん
とな。。本多の陣の手前で右に曲がり家康本
陣を斜めに見て伊勢街道に入り、伊勢路を抜
け、関地蔵、鈴鹿峠を越え、甲賀の水口 (み
なくち)で小休止。さらに甲賀の信楽から大
和、堺を目指す。そして船で、帰国じゃ」
義弘はこの妄想にも似た案を一気にまくし
たてた。
「殿、何で水口か」
長寿院が問う。
「もしバラバラになったとき、集合場所が必
要だろう。水口は長束正家(なつか まさい
え、西軍側の武将)の居城だ。他よりは良い」
と新納が謎解きをした。
「殿、立派なご計画じゃが、まず井伊の陣を
抜けんとな。井伊に穴をあける役は、わしじゃ
な」
桂忠詮が自信たっぷりに言ったが、義弘は
「いや、先鋒は豊久じゃ。豊久たのむぞ」
という。
「心得た」
その返事を聞いた義弘は新納旅庵を見た。
「しんがり(軍隊が退却するとき、最後尾にあ
って、追ってくる敵を防ぐ役。)をたのむ」
「男子の本懐って、ところじゃな」
と新納旅庵は気楽に受けた。
「おい、新納、年はいくつになった」
長寿院が口をはさんだ。
「四十七になり申した」
新納が答える。
「わしは五二。お前に格好つけされらるっか。
その役よこせ。」
「長寿院さま、何を言い出すんじゃ。殿の命
令ぞ」
「なら、殿、命令のご変更を。変更せな、わ
しゃ、ここで腹切っど」
退却戦で死ぬ可能性が一番高いのが「しん
がり」である。
義弘が新納を選んだのは、その頭脳の柔軟
さによる。
「井伊の陣を抜けるまでは乱戦となろう。場
合によっては、わしの位置さえ不明になるか
も知れん。 そういう時、新納なら、無理を
せず、甲賀の水口にむかってくれる。」
そう義弘は読んだのである。
しかし、長寿院は律儀すぎる。
井伊の陣を抜けるまでに死ぬかもしれん。
だが長寿院の人生をきめるのは長寿院自身
であることも確かだ。
「そんなら、そうすっか。長寿院さん、頼み
ますぞ」
「男子の本懐って、ところじゃな、新納さま」
ワハハハっと長寿院は高笑いし、言う。
「殿、戦法は捨て奸(すてがまり、何人かが
己を犠牲にして敵を足止めしその繰り返しで
主君を逃すという島津家奥義の退却戦法)で
いきますぞ」
義弘を睨むように他の四人もうなずく。
「わかった。豊久さん、皆を集めない。号令
はおぬしにまかせる」
と義弘はいった。
以下十一に続く
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