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第六章: 第二の惨劇、魚屋徳蔵の死

 祭りの酒をさんざん飲まされ、半七が駕籠かごで神田の家へ帰り着いたのは、夜の四ツ(よつ)(※午後十時)過ぎ。 帰るなり寝床へ倒れ込み、翌朝まで泥のように眠り込んでいた。


「——親分! 親分、起きてくだせえ!」


 五ツ(いつ)(※午前八時)頃、けたたましい声で寝込みを襲われた半七が、まぶしい朝日を睨みつけながら身を起こすと、そこには子分の善八ぜんぱちが飛び込んできた。


「うるせえな、善八。こっちは二日酔いだ。なんだってえ、朝っぱらからさわぎたてるんでぇ」


「朝っぱらからどころじゃねえ! 親分、知ってますか? いや、そのご様子じゃ、ご存じあるめえ。……ゆうべ、本所で人殺しがありやした!」


「本所? 吉良きら様の屋敷でもあるめえし」


洒落しゃれてる場合じゃねぇですよ! 相生町の二丁目! 魚屋です!」


「……魚屋だと?」

 半七は、一気に酔いが醒めました。

「——徳蔵か!?」


「げっ。なんで知ってんでやすか!?」

 善八が目を丸くします。

「……三社様が夢枕に立ったのさ。それで? 下手人げしゅにんは? カミさん(※お留)はどうした!」


「カミさんは無事です。話によりますと……」


 善八の報告は、衝撃的なものでした。

 昨夜、弟の葬式から帰り、疲れ切って寝込んでいるところへ、何者かが忍び込んだ。集まった香典こうでんを盗もうとしたぞくに、徳蔵が気づき、組み付いた。

 すると、賊は店先にあったあじ切り包丁で、徳蔵のひたいと胸を滅多めった突きにし、逃げ去った——。


「カミさんが泣き叫んで近所が駆けつけましたが、もう手遅れ。賊は逃げ、徳蔵は死んだ、ってえ始末しまつで。こりゃ、すぐに親分の耳に入れねえと、と思いまして」


「……そうか。検視けんしはもう済んだろうな。で、下手人の当たりは?」


「それが、どうも……。カミさんは、ただ気違いみてえに泣き叫ぶばかりで、何が何だか、さっぱり判らねえそうで」


「……泣くのは上手うまだろうよ。女郎上がりだからな」

 半七は、冷たく吐き捨てました。


(……香典狙いの物取り? そうか? 昨日、百両を手に入れたばかりの家だぞ。香典なんざ、たかが知れてる。なのに、わざわざ鰺切り包丁で殺すか?)


「善八。おめえ、すまねえが、すぐに鳥越とりごえまでひとっ走りしてくれ」


「鳥越? 鳥越の、どこへ?」


「煙草屋の伝介だ。あいつが今、どうしてるか。何食わぬ顔で商売に出てるか、家に引きこもってるか……。何げなしに、様子だけ見てきてくれ。いいな、気取けどられるなよ!」


 善八を叩き出すと、半七は着物もそこそこに、再び本所へと駆け出した。


 徳蔵の店は、昨日とは比べ物にならない大騒ぎになっていた。 昨日は弟の葬式、今日は兄貴の殺し。近所の人々も、あきれ顔で遠巻きに騒いでいる。


 店の中へ分け入ると、女房のお留は、町内の自身番じしんばんへ事情聴取に呼ばれたまま、まだ戻っていないとのこと。

 昨日顔を合わせた近所の人たちに話を聞きますが、誰もがただ「香典狙いの物取りだろう」と口をそろえるばかり。


(本当にそうか……?)


 半七は、店の土間に腰掛け、何気なくあたりを見回しました。 昨日も今日も商売を休んでいるため、魚を並べる盤台ばんだいは隅に積まれ、流しは乾ききっていいる。 その、盤台の陰。 そこに、大きな蠑螺さざえや赤貝のからが、いくつも無造作に転がっているのが、半七の目にとまる。


(ずいぶん、でけえ貝殻だな……)


 彼は、ふらりと立ち上がり、その貝殻の一つを手に取ってみた。 当然、中身は空です。 次に、ひときわ大きな蠑螺の殻が、うつ伏せになっているのに気づく。それをひっくり返そうとすると……。


(……重い)


 貝殻にしては、妙に重い。 半七は、周囲の目を盗み、その貝殻を横に転がし、穴の中を覗き込んだ。 奥に、何か紙のようなものが、ぎっしりと押し込まれていた。


(!)


 半七は、素早くそれを引き出しまし…… それは、分厚い紙包み…… 開いてみるまでもない。昨日、山城屋が徳蔵に渡した、百両の包金つつみかね。 そして、その包み紙には……まだ生々しい、血のついた指の跡が、べったりと残っていた。


(……見つけた)


 半七は、あたりの人々に悟られぬよう、その百両包みをふところに滑り込ませた。 (泥棒が、わざわざ盗んだ金を貝殻に隠して逃げるか? ……ありえねえ)


 その時。


「……お早うございます。きのうは、どうもご苦労様で……」


 表から、ひょこりと顔を出したのは、昨日の葬式で会った、煙草屋の伝介だった。今日は煙草の荷を背負っていた。


「……ありゃ。きょうも、なんだか取り込んでるようで」


「むう。大取り込みだ。……徳蔵が、ゆうべられた」


「へええっ!?」


 伝介は、目を剥き、口をあんぐりと開けたまま、その場に立ち尽くしました。 その驚き方は、とても芝居とは思えなかった。


「……伝介。おめえに、ちと訊きてえことがある。ちょいと、裏へ回ってくれ」


 半七は、伝介の肩を掴むと、そのまま横手の露地から、裏の井戸端へと引きずっていった。


 第七章: 貝殻に隠された百両


「さて、伝介」 昨日のあおぎりの木の下で、半七は懐から例の百両包みを取り出しました。血糊ちのりのついたそれを、伝介の目の前に突きつける。


「こ、こいつは……」

「徳蔵の店に隠してあった。昨日、山城屋から受け取った百両だ。……物取りの仕業なら、こんなものが残ってるわきゃねえ。なあ、伝介。おめえ、あのカミさん(お留)と、どういう仲だ?」


「な、何をおっしゃいます! あっしは、ただの客で……」

「嘘をつけ!」

 半七は、伝介の胸ぐらを掴み上げました。

「おめえ、吉原にいた頃からのお留の馴染み(なじみ)だろう。昨日、わっちがおめえを見た時、おめえは『徳蔵は知らねえが、遊びに来る』と抜かした。魚屋に遊びに来る客が、なんで弟の葬式を手伝うんだ? 徳蔵と懇意こんいじゃねえ証拠だ。おめえの目当ては、カミさんだろうが!」


 図星を突かれた伝介は、顔面蒼白そうはくです。

「ち、違え……そりゃあ、昔は……」

「まだ言うか! 昨日の葬式で、お留が利兵衛さんをにらみつけていたのを、わっちは見逃さなかった。あれは、百両で手を打った亭主と、その仲立ちをした利兵衛さんへの怒りだ。……てめえら二人で、三百両を山分けする算段だったんじゃねえか!」


「そ、そんな!」

「そして、昨夜。亭主が邪魔になった。二人でって、百両奪って高飛びするつもりだった。……そうだろう!」


 半七がそう怒鳴りつけると、伝介は、わなわなと震えながら、ついに泣き崩れた。

「ち、違いやす! 殺しは……殺しは、あっしじゃねえ! あっしは、何も知らねえ!」


「何だと?」

「お、お留とは、確かに昔から……。ですが、亭主を殺すなんて話は、一度も……! 昨日の昼過ぎ、『山城屋から金が入る。今夜、うちへ来な』と、お留から……」


「……それで、行ったのか」

「へえ。夜中にこっそり裏口から……。そうしたら、お留が血相けっそう変えて立ってやした。『しくじった! 亭主に見つかった!』と……。奥を見たら、徳蔵が血まみれで倒れてて……。あっしは、こわくなって、そのまま裏から……」


「……金は、どうした」


「知りやせん! 『金はどうした』と聞いたら、『隠した!』とだけ。……親分! あっしは、本当に殺しちゃいねえ! 信じてくだせえ!」


(……こいつの言うことは、本当かもしれねえ)


 半七は、伝介の狼狽ろうばいぶりが本物であることを見抜いた。 (だとすると……)


「……よし。伝介、おめえはしばらく、ここで大人しくしてろ」

 半七がそう言い終わらないうちに、表の方から「お留さんが帰ってきたぞ!」という声が聞こえた。


 自身番から解放されたお留が、よろよろと店先に戻ってきた。その顔は涙でぐしょ濡れになり、「ああ、おまえ……」と土間にへたり込んで泣き崩れていた。 近所のおかみさんたちが、寄ってたかって「お留さん、しっかりおしよ」「可哀想に」となぐさめています。


 半七は、その輪の中に静かに入っていくと、泣きじゃくるお留の肩に、そっと手を置いた。


「おかみさん。……ちと、おめえさんの指を見せてくれねえか」


「……え?」


 お留が、涙に濡れた顔を上げました。その目は、一瞬、鋭い光を宿したように見えた。

 半七は、有無うむを言わさず、彼女の右手をつかむと、懐からあの百両包みを取り出しました。


「!」

 お留の体が、ビクッと硬直します。


 半七は、包み紙にべったりと付着した血の指紋しもんと、お留の指先とを、近所の人々にも見えるように、高々と掲げました。


「——この血の手形てがたと、おめえさんの指の形が、ぴったり合うようだが……。どうだえ、お留さん」


 あたりは、水を打ったように静まり返ってしまった。 お留の顔から、急速に血の気が引いていく。


「……何の、ことだか……」


「まだ、しらを切るか。……物取りなら、この百両を持って逃げるはずだ。わざわざ、店の蠑螺さざえの貝殻なんぞに、押し込んでいくわけがねえ!」


「——蠑螺の、貝殻」

 その言葉を聞いた瞬間、お留の顔が、絶望にゆがみました。


「亭主をっちまったが、どたばた騒ぎで隣の足袋屋が起きてきやがった。この百両の隠し場所に困ったおめえは、咄嗟とっさに、足元の貝殻の中へ……。そうだな!」


 お留は、もう泣いていなかった。 その青白い顔に、恐ろしいほどの無表情を浮かべ、ただ、じっと半七を見つめ返していた。 「……ああ、そうだよ」 それは、ささやくような、しかし、底冷えのする声だった。 「あたしが、殺したのさ」

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