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第四章: 疑惑の百両

 やがて葬式の時間となり、三十人ほどの見送り人が、質素な早桶はやおけ(※棺桶)について歩き出した。 「天気になって、徳ちゃんも後生ごしょうが良かったな」 そんなことを言う人もいた。


 本所あたりの道は、昨日の雨でひどいぬかるみになっていた。その泥道を避けながら、半七はわざと列の後方に下がり、利兵衛と並んで歩いていった。


「番頭さん」 半七が小声で尋ねる。


「さっき、裏で夫婦が揉めてたようだが……。徳蔵は、また店へ行ったのですかね?」


「……はい」 利兵衛は、観念したようにこくんと頷きました。


「また押し掛けてきまして……。ほとほと困り果てました」


 話はこうであった。 今朝、三両の香典を持って帰った徳蔵でしたが、昼過ぎにまた山城屋へ乗り込んできた。 「これから弟を火葬にする。焼いちまったら、何の証拠も残らねえ。葬式を出す前に、この一件のらちをあけてくれ!」 そう言って、徳蔵は店先で大声でわめき立てたといいます。


 山城屋も持て余し、半七の家へ使いを出しましたが、半七はすでに出た後。

 騒ぎが大きくなるのを恐れた山城屋の主人は、ついに折れました。

「……分かった。百両だ」

「!」

「要求の三百両は無理だ。だが、百両なら何とかしよう。これ以上はびた一文出せねえ。これが不承知なら、お奉行所でもどこへでも訴えるがいい!」


 主人のその剣幕に、今度は徳蔵の方が折れた。

「……承知いたしやした。百両で結構でございます」


 かくして、徳蔵は「弟の死に関して、今後一切の苦情は申しません」という一札いっさつを書き、百両の金と引き換えに、事を納めたというのだ。


「……そうか。百両で手打ちになったか」

 半七は、深く頷きました。

(なるほどな。お留が怒っていたわけだ。『三百両取れるはずだったのに、百両で手を打ちやがって、この意気地なし!』……そういうこったな)


「まあ、番頭さん。ともかく、それで無事に納まったんなら結構なこった」


「左様でございましょうか……。しかし、言いなりに百両も……」


「人の命には代えられねえよ。それに、事が大きくなるよりは良かった。……ところで、番頭さん」


 半七は、ふと話題を変えました。 「ちと、突拍子もねえことを聞くが……おこのさんは、針仕事はするかね?」 「へ? 針仕事ですか? はい、大層お上手じょうずでございますよ。他にすることもねえもんですから、隠居所の方で、毎日何か縫うて(ぬうて)おられますが……」


「ふむ。……その、お此さんがいつもいる部屋の障子しょうじなんだが。近頃、切り貼り(※破れた部分だけを補修すること)なんぞした覚えは?」


「さあ……」利兵衛は、ぬかるみに足を取られながら、記憶をたどっています。


「隠居所のことまでは、ちと詳しく存じやせんが……。ああ、そういえば。この月の初めでしたか、隠居所の障子を猫が破いたとかで、小僧がのりを持って貼りに行ったような……。おい、音吉!」


 利兵衛が、前を歩く小僧の音吉を呼び止めた。


「音吉。このあいだ、隠居所の障子を直しに行ったのは、お前じゃなかったか?」


「あ、はい、わたくしです」と音吉。


「どこの障子だ?」


「おこのさんが、いつもお仕事をしてらっしゃる、南向きの六畳の間の障子です。猫がいたずらしたとかで、下から三段目か四段目くらいの小間こまが一枚、ビリッと……」


「……その日を、覚えてるか?」

 半七が、静かに尋ねました。


「はい。覚えてます。……お節句の日でした」


「……!」


 半七は、思わず口元に笑みを浮かべました。

(……見えたぞ)

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