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プロローグ:火事見舞いと呼び出し

プロローグ:火事見舞いと呼び出し



「安政三年でしたかねえ。霜が厳しくなり始めた十一月の十六日だったと覚えております」


 僕の向かいで、半七老人は皺くちゃの目元を懐かしそうに細めた。火鉢の柔らかな火が、その顔に深い陰影を落としている。


「その日の朝、まだ夜も明けきらねえ七ツ時(午前四時)頃でさあ。神田の柳原堤の近所で火事がありやしてね。ええ、幸いにも四、五軒焼けで済んだんですが、なにしろ知り合いの家がその辺りにあったもんですから、まだ薄暗いうちから顔を出したんです。まあ、無事を確認して少しばかり世間話に花を咲かせ、家に戻ってすぐさま朝湯に飛び込みやした。さっぱりしたところで朝飯を食っておりやすと、もう五ツ(午前八時)に手が届こうかという頃でしたろうか。そこへ、八丁堀の槇原様という旦那から使いが来ましてね。『半七、すぐに来い』とのご用件で」


 半七老人は、まるで昨日のことのように、その時の情景を語り始める。その目は、明治の文明開化の世ではなく、遠い江戸の町並みを見ているようだった。


「朝っぱらから一体何事でございましょう。そう思いながらも、御用は御用。すぐに支度を整えて、旦那の屋敷へ向かいやした」


 老人はそこで一度言葉を切り、熱い茶をゆっくりと一口すすった。


「旦那の屋敷は玉子屋新道にありましてね。門をくぐると、顔なじみの中間、徳蔵が玄関でそわそわと待っておりやした。『親分、旦那がお急ぎだ、さあさあ、こちらへ』と急かされまして。すぐに奥へ通されますと、槇原の旦那と差し向かいに、四十がらみの上品な武士が一人、神妙な面持ちで座っておりやした。そのお方は、裏四番町に屋敷を構える八百五十石取りの旗本、杉野様の用人で、中島角右衛門と名乗られやした」


 角右衛門と名乗る武士は、半七の前に深々と頭を下げたという。こちらも型通りの挨拶を返すと、待ちかねていたように槇原同心が口を開いた。


「半七、よく来てくれた。実は角右衛門殿から、内々の頼みがある。何分、表沙汰にはできぬ事情があるそうでな。どこまでも内密に探索してほしい、とのことだ。気の毒だが、年の瀬も近いこの時期に、一働きしてはくれまいか」


「御用とあらば」


 半七はそう応じ、用人・角右衛門の話に耳を傾けた。その話は、にわかには信じがたい、不可思議な失踪事件の顛末だった。

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