第三章:名探偵、登場
音羽の堺屋で、俺は女中たちの出入りを記録した古い帳面を調べさせてもらった。
だが、小幡の言った通り、最近の帳面におふみという名は見当たらない。三年、五年、十年と遡っても、おふゆ、おふく、おふさ……「ふ」のつく名前の女は一人も見つからなかった。
堺屋は三十年ほど前の火事で、それ以前の帳面はすべて焼失してしまったらしい。残っている帳面をすべて調べたが、三十年前が限界だった。
「ちくしょう、行き止まりか……」
煤けた紙に書かれた、ミミズが這ったような文字を根気よく追いかけているうちに、俺の目も頭もくらくらしてきた。正直、そろそろ飽きてきた。面白半分で引き受けたことを、少し後悔し始めていた。
その時だった。
「これはこれは、江戸川の若旦那。何をお調べで?」
店の入り口にひょいと腰掛けたのは、四十過ぎの痩せぎすな男だった。縞の着物に縞の羽織。いかにも江戸の町人といった風体だが、その目つきは鋭く、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。
「よう、半七じゃないか。相変わらず忙しいのか?」
男は神田の岡っ引き、半七といった。妹が神田明神下で常磐津の師匠をしていて、俺は時々そこに遊びに行っていたから、兄の半七とも顔なじみだったんだ。
半七は岡っ引き仲間でも一目置かれる切れ者だったが、この手の稼業の人間には珍しく、正直でさっぱりした男だった。御用を笠に着て威張るようなこともなく、誰に対しても親切で、俺も好感を持っていた。
「へえ。今日もちょっとした御用で、こちらへね」
半七と二言三言、世間話をしているうちに、俺はふと思った。
(こいつなら、秘密を話しても大丈夫かもしれん。いっそ、知恵を借りてみるか……)
「半七、悪いが少し相談に乗ってくれないか?」
俺が声を潜めると、半七は心得たとばかりに頷いた。
「なんだか存じませんが、伺いましょう。おーい、おかみさん。二階をちいと借りるぜ!」
半七は先に立って、きしむ階段を上がっていく。薄暗い六畳間には、古い葛籠なんかが積まれていた。
俺はそこで、小幡の屋敷で起きている奇怪な事件のすべてを、半七に話して聞かせた。
「……どう思う、半七? うまいこと、この幽霊の正体を突き止める方法はないもんかねえ」
俺の話を聞き終えると、半七はしばらく首を傾げて黙り込んでいた。
「……ねえ、旦那。その幽霊は、本当にいるんでしょうかねえ」
「さあな。俺も見たわけじゃない。だが、お道さんとお春ちゃんは、確かに見ているんだ」
半七はまた黙って煙草をふかしている。やがて、ぽつりと言った。
「その幽霊ってのは、武家の召使い風で、水浸しになってるんでしたな。まあ、皿屋敷のお菊さんみたいなもんですかい」
「まあ、そんなところだ」
「あの御屋敷では、草双紙なんぞはお読みになりますか?」
半七は、突然、思いもよらないことを尋ねてきた。草双紙とは、今でいう漫画みたいな、絵入りの娯楽小説のことだ。
「主人の小幡殿は好かんらしいが、奥方のお道さんは読むと聞いたな。近所の田島屋という貸本屋が出入りしているはずだ」
「ほう、貸本屋……。して、あのお屋敷の菩提寺はどちらで?」
「下谷の浄円寺だ」
「浄円寺……へえ、そうですかい」
そう言うと、半七はにっこりと笑った。その笑顔には、何か確信めいたものが浮かんでいた。
「おい、半七。何か心当たりでもあるのか?」
俺が身を乗り出すと、半七は質問には答えず、また別のことを聞いてきた。
「小幡の奥様は、お綺麗な方なんで?」
「まあ、なかなかの美人だな。年は二十一だ」
「……そこで旦那、いかがでしょう」
半七は、いたずらっぽく笑いながら言った。
「お武家様の内輪話に、あっしらみたいな者が首を突っ込むのは筋違いってもんですが、いっそこの一件、あっしに任せちゃくれませんか。二、三日のうちに、きっと白黒つけてご覧に入れますぜ。もちろん、これは旦那とあっしだけの秘密。他言はいたしやせん」
腕利きの半七が、どんな手際でこの謎を解くのか。俺は興味津々で、彼の申し出を快諾した。
「ただし、表向きは旦那が探索しているってことにしてくだせえ。あっしはあくまで影働き。明日から、ご面倒でも一緒に歩いていただきますぜ」
どうせ暇な身だ。断る理由はない。俺は、明日からの展開に胸を躍らせて、その日は半七と別れた。




