第二章:手詰まりの調査と謎の男
松村は道中、ずっと考えていた。
(幽霊がどうのこうのと、武士同士の話し合いで切り出していいものだろうか……。いい年をして、馬鹿な奴だと思われるのは癪だな)
しかし、他に話の持って行きようがない。
西江戸川端の小幡屋敷では、主人の伊織が快く迎えてくれた。時候の挨拶などを交わしながらも、松村はなかなか本題を切り出せずにいた。笑われるのは覚悟の上だったが、いざ相手を前にすると、幽霊の話はあまりにも言い出しにくい。
すると、意外にも小幡の方から口を開いた。
「松村殿。実は……お道が、何かお話ししませんでしたかな?」
「は、はい。参りましたが……」
「では、お聞き及びかもしれませんが、女子供というのは馬鹿なものでしてな。近頃、この屋敷に幽霊が出るとか申しまして……はっはっは」
小幡は無理に笑っているようだった。松村も仕方なく、つられて笑う。だが、笑って済む話ではない。松村はこれを好機と、思い切ってお道さんから聞いた話を全てぶちまけた。話し終えた時、彼の額には汗が滲んでいた。
こうなると、小幡も笑ってはいられない。彼は困ったように顔をしかめ、しばらく押し黙った。
「……分かりました。こうなっては、真面目に詮議するしかありますまい」
小幡の考えでは、もしこの屋敷が本当に「化け物屋敷」なら、これまでにも誰か不思議な体験をした者がいるはずだ。だが、自分はもちろん、先代の両親や祖父母からも、そんな噂は聞いたことがない。四年前によそから嫁いできたお道さんだけに見えるというのが、まずおかしい。
「ともかく、まずは屋敷中の者を集めて、聞き込みをしてみましょう」
早速、譜代の家来である用人の五左衛門が呼ばれたが、答えは「先代様御在世の頃より、左様な噂はとんと聞き及びませぬ」というものだった。若党や中間たちも、新参の者ばかりで何も知らない。女中たちに至っては、そんな話を聞かされただけで震え上がる始末だ。
「ならば、池を浚ってみろ!」
小幡は次にそう命じた。幽霊がびしょ濡れだという話を手がかりに、池の底に何か秘密が隠されているかもしれないと考えたのだ。屋敷には百坪ほどの古い池があった。
翌日、大勢の人足が集められ、池の掻い掘りが始まった。松村も立ち会ったが、出てきたのは鮒や鯉ばかり。泥の底から、女の髪一本、櫛一本すら見つからなかった。井戸も調べてみたが、結果は同じだった。
調査は完全に行き詰まった。
今度は松村の提案で、嫌がるお道さんを無理やり屋敷に連れ戻し、いつもの部屋で寝かせることにした。松村と小幡は、隣の間に隠れて夜が更けるのを待つ。
その晩、娘のお春ちゃんがすやすやと寝入ったかと思うと、突然、針で突き刺されたような悲鳴をあげた。
「ふみが来た! ふみが来た!」
「来たか!」
待ち構えていた二人は、刀を引っ掴んで襖を蹴破るように開けた。だが、部屋の中には行燈の灯りが揺れているだけで、誰の姿もない。お道さんは娘を固く抱きしめ、枕に顔を押し付けて震えていた。
この生々しい証拠を突きつけられ、松村も小幡も顔を見合わせるしかなかった。
一体、どうして三つの幼子が、自分たちの目にも見えない侵入者の名を知っているのか?
それが最大の謎だった。
噂はどこからか漏れ、小幡の屋敷は「幽霊屋敷」として近所で囁かれるようになった。そんな中、一人の男が「面白いじゃねえか」と、この面倒な事件に首を突っ込んできた。
それが俺、旗本の次男坊で暇を持て余していた、京四郎というわけだ。
俺は昔からこういう不思議な話には目がなくてね。噂を聞きつけるなり、小幡の屋敷に押しかけて、事の真相を確かめたんだ。
「小幡殿、困っているなら俺に任せちゃくれないか? この京四郎が、幽霊の正体を暴いてやるぜ!」
江戸の侍の次男三男なんてのは、はっきり言って高等遊民だ。家督を継ぐ長男と違って、よほどの才覚でもない限り世に出る見込みはない。だから、退屈しのぎに何か面白いことはないかと、常に探し回っている。俺もその一人だった。
小幡も、藁にもすがる思いだったのだろう。俺の申し出を喜んで受け入れてくれた。
「よし、やるからには徹底的にだ!」
俺はまず、その「おふみ」という女の身元を洗うことから始めようと考えた。その女とこの屋敷の間に、どんな繋がりがあるのかを探り出すのが先決だ。
「小幡殿、親戚や召使いに、おふみという名の女に心当たりは?」
しかし、小幡の答えは「ない」だった。
詳しく調べてみると、小幡家では代々、一人は領地の村から、もう一人は江戸の請宿から女中を雇っていることが分かった。その請宿は、音羽にある「堺屋」という店だという。
「よし、まずは手近な堺屋からだ!」
俺は早速、堺屋へ向かうことにした。小幡が知らないずっと昔に、おふみという女がいたかもしれないからな。
「では、頼みましたぞ、京四郎殿。くれぐれも、内密に……」
「任せておけって!」
こうして、俺の初めての探偵ごっこが始まった。それは三月の末の、よく晴れた日のことだった。




