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第三章:交錯する謎


 半七は、赤坂の方まで別の用足しに回って、家に帰った。その晩は何事もなく寝た。


 ところが、翌朝のまだ薄暗いうちに。あの湯屋熊が、また血相を変えて半七の家に飛び込んできた。


「親分、大変だ! 大変だ! あいつら、とうとうやりやがった! こっちの手が遅れた! 悔しいことをしてくれた!」


 熊蔵の報告は、衝撃的なものだった。

 昨夜、熊蔵の湯屋と同町内(愛宕下)にある「伊勢屋」という質屋へ、浪人風の二人組の押し込み強盗が入った。

 例の「軍用金」を言い立てに、「有り金を出せ」と脅した。

 伊勢屋の主人が素直に差し出さなかったので、奴らは大刀を振り回し、主人と番頭に手を負わせた。  そうして、店に有り合わせた金、八十両ほどを引っさらって逃げたという。


「覆面をしていたんで、はっきりとは判らねえそうですが、人相や年頃が、あの湯屋の二階の二人組にそっくりだそうで!」熊蔵は興奮してまくし立てた。


「どうしても奴らですよ! わっしの二階を足溜だまり(アジト)にして、そこらを荒らして歩くつもりだ! 早く何とかしなけりゃ!」


「……そいつは、打捨うっちゃっておけねえな」


 半七は、いよいよ覚悟を決めた。同じ町内で、二日続けて怪しい侍と強盗事件。おまけに、彼は昨日、八丁堀の旦那から「些細な火種も見逃すな」と厳命されたばかりだ。


 これがもし、火盗改や他の組の耳に入れば。「神田の半七は、目の前の強盗も見逃した」と、笑いものになる。それだけは、我慢ならなかった。


「なにしろ、おめえは家へ帰って、その侍どもが今日来るかどうか、しっかり見張れ。俺も支度をして、すぐ後から行く!」


 熊蔵を追い返し、半七はすぐに朝飯をかっ込んだ。身支度をして、愛宕下へ向かう。

 その途中、少し寄り道をする用があって、日蔭町ひかげちょうの方へ回った。

 日蔭町は、刀屋や甲冑屋が軒を連ねる界隈だ。


 「会津屋」という刀屋の前を通りかかると、一人の若い侍が店先の縁台に腰を掛けて、番頭と何か話し込んでいる。


 (……ん?)


 俺は、ふと足を止めた。


 その侍。


 昨日、湯屋の二階で出逢った、あの色の白い方の侍(怪しい箱の持ち主)じゃないか。


 俺は少し離れた場所から、じっと様子を窺った。やがて侍は、番頭からいくらかの金を受け取ると、そそくさと店を出て行った。


 (……今、何かを売ったぞ)


 すぐに後を尾つけようかとも思ったが、まずは情報収集だ。 半七は入れ違いに、会津屋の店へ入った。


「お早うごぜぇます」

「おや、三河町の親分。お早うございます。春だというのに、馬鹿に冷えますねえ」番頭は、俺の顔をよく知っていた。


「ちと、つかねえ(くだらない)ことを訊きやすが、今ここを出たお武家は、お馴染みさんですかい?」 「いいえ、初めて見えた方ですよ」


 番頭は、苦笑いを浮かべた。


 「こんなものを持ち歩いて、そこらの店で二、三軒断られたそうですが、とうとう私のうちへ押し付けて行ってしまいましてね」


 番頭の傍らには、油紙に包まれた、ゴワゴワした何かが横たわっていた。


「何です、そりゃ?」

「へえ、こんなもので……」

 番頭が油紙をめくると、中から薄黒い、泥にまみれた魚の皮のようなものが現れた。


「こいつは、『泥鮫どろざめ』でしてね。刀の柄つかや鞘さやを巻く、鮫の皮の元になるもんです」 「へえ、鮫の皮ですか。こうして見ると、随分きたねえもんですな」

「まだ仕上げの済まない『泥鮫』ですからね」


 番頭は、商売柄、得意そうに説明を始めた。 「御承知の通り、この鮫の皮ってのは、たいてい異国の遠い島から来るんですが、みんなこの通り、泥だらけのまま送られてくるんです。こっちでそれを洗って、磨いて、初めてあの真っ白な、綺麗な肌になるんですが、その仕上げがなかなか面倒でして。


 それに、迂闊うっかりすると、こっちが大損こくんですよ。何しろこの通り泥だらけですから、仕上げてみねえうちは、傷があるか、『血暈ちじみ』があるか、判りやせん。


 傷はまあいいんですが、この『血暈』って奴が厄介でしてね。

 なんでも鮫を突き殺した時に、その生血なまちが皮に沁み着くんだそうですが、これがいくら洗っても磨いても、抜けねえんです。真っ白な鮫の肌に、薄黒い点がポツポツと着いてちゃあ、とても売り物になりやせんからね。


 そういうのは、結局、漆うるしをかけて誤魔化すしかねえんですが、白鮫に比べたら半分以下の値にしかなりません。十枚一束になってる中には、たいていこの血暈のある奴が三、四枚は混じってるもんですから、こっちもそのつもりで値踏みはするんですが……。あの侍さん、こんな泥鮫を、たった一枚きり持って来やしてね」


「成程ねえ」


 俺も感心したように頷いてみせた。あの薄汚い泥の皮が、刀の柄を飾る、玉のように白い鮫皮になるたあ、素人には思いもよらねえ。


「あのお武家が、これを売りに?」

「へえ。『長崎の方で買ったんだ』とかで、相当の値段に引き取ってくれ、と。

 こっちも商売ですが、いくらお武家でも、素人さんの、おまけにたった一枚の泥鮫なんざ、もし血暈付きのを背負い込んだ日にゃあ、目も当てられません。


 まあ、一旦は断ったんですがね。

 『いくらでもいいから』と頻りに口説かれて、とうとう、まあ、雀の涙みてえな値で引き取るようなことになりまして……。  あとで主人に叱られるかもしれませんよ。へへへ」


 番頭は引き取り値段を言わなかったが、よほどひどく買い叩いたとみえる。


 俺の頭は、ますます混乱した。  干からびた人間の首。  奇怪な動物の頭。  そして、薄汚い泥鮫の皮。


 (……こいつら、一体何がしてえんだ?)


 昨日、質屋で八十両もぶんどった奴が、今日になって、たった一枚の泥鮫を、雀の涙の値で売りに来るか?


 筋が通らねえ。


「いや、どうもお邪魔をしました」  俺は礼を言って会津屋を出た。


 そして、考え込んだ。


 (……待てよ。質屋強盗は「二人組」。湯屋の侍も「二人組」。だが、泥鮫を売りに来たのは「一人」だ。  もしかして、一人は強盗で金を手に入れ、もう一人は金に困って泥鮫を売った……? 仲間割れか?)


 謎は深まるばかりだ。

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