第二章:柳原の夜襲
日が暮れて、七兵衛は葺屋町の家を出た。
お十夜詣でにかこつけて、まずは例の柳原の堤を検めてみる気になった。
柳原の土手は、槍突きの噂に怯えてか、宵の口から人影ひとつない。提灯の明かりも見えなかった。昼からの曇り空が、今は真っ黒な闇となって空に張り付いている。
七兵衛は、お十夜用の数珠を片手に持ち、小田原提灯の明かりを双子羽織の下に隠して、神田川沿いの縁をゆっくりと辿った。
その時だ。
枯れ柳の痩せた影から、一人の女が幽霊のようにふらりと現れた。
七兵衛は闇に目を凝らす。女もこちらを窺っている。
女が摺り抜けるように両国の方へ去ろうとした。
「もし、姐さん」
七兵衛が声をかける。女は一瞬立ち止まったが、構わず歩き去ろうとする。
「おい、姐さん。このごろは物騒だ。送って差し上げよう」
足早に追い、隠していた提灯を、さっと女の顔先に突きつけようとした。
その瞬間。
パシッ、という乾いた音と共に、提灯が叩き落とされた。同時に、七兵衛の左手に痺れるような衝撃が走る。数珠の緒が切れ、玉が闇に散った。
(……速い!)
七兵衛がはっと立ちすくむ間に、女の姿は闇に溶け、もうどこにも見えなかった。
「……あれが、化け猫か。いや」
追っても無駄だ。七兵衛はまず、叩き落された提灯を拾おうと、暗い地面に身をかがめた。
その時だった。
背後から、一切の気配なく近づく影。
屈んでいる七兵衛の左脇腹を狙い、無音で槍が繰り出された。
(!)
足音はなかった。だが、槍が空気を裂く微かな音に、七兵衛の体は反応していた。
小膝をついて身をかわす。槍の穂先が、がちりと硬い土を抉った。
七兵衛がその槍の柄を掴んで起き直ろうとすると、相手は即座に穂先を抜き、稲妻のような速さで二の槍を放ってきた。
七兵衛は危うく飛びのいて、ようやく真っ直ぐに立ち上がる。
槍は休むことなく、彼の腹、股、胸と、的確に急所を狙い突きおろしてくる。
(こいつ、素人じゃねえ!)
五十八歳の身には、この速さは堪える。
「御用だ!」
ついに、堪らず声を張り上げた。
すると、相手はぴたりと動きを止め、槍を引くと、暗闇の中を一散に逃げ去った。
「……畜生」
猫の目を持たぬ七兵衛には、相手の姿形は何も見えなかった。
せめてもの幸いに怪我はなかったが、脇腹には冷や汗が流れていた。
ようように提灯を探し当て、燧石で火をつける。あたりを照らしたが、散らばった数珠の玉以外、手がかりになるものは何もない。
(さっきの女と、今の槍の主……。どういう繋がりだ?)
七兵衛は、あの女の、提灯を叩き落とした尋常ならざる手際と、槍の主の正確な突きを反芻しながら、浅草へと向かった。




