エピローグ:見なくなった万歳
「……とまあ、こういうわけで、先生。この一件も、怪談のようで、そうじゃなかった」
半七老人は、煙管に新しい煙草を詰めながら、話を結んだ。 赤坂の座敷には、屠蘇の香りがまだ淡く残っている。
「それで、その牙の生えた赤ん坊は、どうなりました?」 と僕が訊くと、老人は「ああ」と頷いた。
「あの長い牙を持った因果者の赤児は、新宿の生みの母、お北に引き渡されました。あの牙もね、先生。後で乳を飲むのに邪魔だったとみえて、自然に根元からぽろりと落ちて、あとは普通の赤ん坊になったそうでございますよ。人の体ってえのは、不思議なもんですな」
「では、市丸太夫は?」
「市丸太夫は、表向きに彼を罪にすべき廉もありませんからね。直接手を下したわけじゃねえ。まあ、『叱り置く』というだけで、免されましたが、すぐに宿を引き払って故郷へ帰ったそうです」
老人は、窓の外で鳴く、万歳の鼓の音に、ふと耳を澄ませた。
「それから後の江戸の春に、あの市丸太夫の万歳すがたは、もう見えなくなったと聞いております」
僕は、老人の話を反芻していた。 踊る猫、牙のある赤子、そして行き倒れの才蔵。 年の瀬の江戸に渦巻いた、金と欲と、男女の痴情のもつれ。
それらすべてが、正月の賑やかな万歳の音の裏に、不思議なものがなしさとなって溶け込んでゆくように思われた。




