第七章:五両の慰謝料
根気よく馴らし、教えて、猫もどうやら斯うやら商売物になろうとした、まさにその矢先を、かの男に突然、撲ち殺されてしまったのである。
勿論、殺した方にも相当の理窟はあった。 かれは框に腰をかけてぼんやりと待っている退屈まぎれに、壁にかけてある三味線をふと見付けた。 すこし酔っていた彼は、その三味線をおろして来て、ぽつん、ぽつんと弾きはじめた。 すると、長火鉢の傍にうずくまっていた白猫が、その爪弾きの調子にあわせて、にわかにふらふらと立ち上がり、踊り出したという。
男は、実にびっくりした。 うす暗い夕方の、逢魔が時である。 猫が、まるで化けたように踊り出したのであるから、異常の恐怖に襲われた彼は、もう何もかんがえている余裕もなかった。 「化け猫だ!」 かれは持っている三味線を逆に持ち直し、猫の脳天を力任せになぐり付けた。 哀れ、猫は「ぎゃっ」とも鳴かず、そのままころりと倒れて死んだ。 そこへ、湯からあがった飼い主の富蔵が、ほかほかの体で帰って来たのである。
「誰がなんと云おうとも、ひとの留守へ無断にはいり込むという法はねえ!」 富蔵は怒った。
「おまけに、大事な商売物をぶち殺しやがって。この始末、どうしてくれる!」 彼は眼の色を変えて哮った。
その事情が判ってみると、男もひどく恐縮して、いろいろにあやまった。 自分も係り合いがあるので、かの女房も、おろおろしながら一緒に口を添えてやった。 だが、富蔵は承知しなかった。 「生かして返すか、さもなくば、その償い金を十両出せ!」 そう迫った。
それをいろいろにあやまって、土下座までして、結局、半金の五両に負けて貰う事になった。 が、男にはその五両の持ち合わせがない。 「どうか、大晦日まで待ってくれ」 と頼むのを、富蔵は無理におさえ付けた。
「ふざけるな! あるもんを出せ!」 腕ずくで、その紙入れを引ったくってしまった。
しかし、その古びた紙入れには、三分ばかりの銭しか這入っていなかった。 富蔵はまだ料簡しないで、 「これから俺と一緒に来い。すぐに其の金を工面しろ」 と責めているところへ、丁度に、お津賀が帰って来た。
お津賀は、あっけらかんとしたもので、 「富さん、あたしの顔に免じて、今夜のところは勘弁しておくれよ。金のことは、あたしがきっと受け合うからさ」 と頻りに富蔵をなだめて、無事にその男を自分の家へ連れ込んだという。
「なるほど。富蔵の猫は、そういう事情で失われたのか」 半七はうなずいた。 かれが半七たちに対して、飽くまで知らないと強情を張っていたのは、たとい自分に相当の理があるとは云え、物取り同様に相手を手籠にして、その紙入れを無体に取りあげたという、うしろ暗い廉があるからであろう。半七はそう想像した。
「それからどうしたね。その男は後金を持って来たらしいかえ」 と、半七はまた訊いた。
「その晩は、まあ無事に済んで、その人はそれからお津賀さんの家で小一刻(約三十分)も話して帰ったようでしたが……」 女房は、声をひそめた。
「その明くる晩、また出直して来ると、なんだかお津賀さんと喧嘩をはじめてねえ。両方とも酔っていたらしいんですが、お津賀さんはその人をつかまえて、表へ突き出してしまったんです」
「ひどい女だな」 と、亀吉は眼を丸くした。
「そりゃあ、なかなか強えんですから」 と、女房は嘲るように笑っていた。 「『お前さんのような意気地なしは、どうだ、こうだ』とか云って、そりゃあもう、ひどい権幕で……。かりそめにも、世間に対しては叔父さんだとか云っている人を、さんざん小突きまわして、表へ突き出してしまったんです。それでも其の人はなんにも云わないで、おとなしく悄々(しおしお)と出て行きましたよ。もっとも、お津賀さんにかかっちゃあ、大抵の男はかないませんや」
「そのお津賀さんというのは、今、家にいるかえ」 と、半七は、富蔵の隣の小綺麗な家を見返りながら訊いた。 おなじ裏長屋でも、お津賀の家はこざっぱりと住まっている。軒には亀戸の雷除けの御札が貼ってあった。 表の戸は、相変わらず錠がおろしてあり、内の様子はわからなかった。
「ゆうべから、帰って来ないようですよ」 と、女房はまた含み笑いをした。
「で、どうだい。隣の富蔵と、おかしいような様子はねえかね」
「そりゃあ、判りませんねえ。あの人のことですから」
「そうだろう」 と、半七も笑った。
「いや、日の短けえのに、手間どいをさせて済まねえ。さあ、亀。もう行こうぜ」 女房に軽く挨拶して、ふたりは露路の外へ出た。




