第六章:踊る猫の仕掛け
「そりゃあ、富さんも怒るわけですよ。あの猫は、ただの猫じゃありませんから」 井戸端の女房は、声を潜め、なおも続けた。
富蔵の隣には、お津賀という二十五、六の小粋な女が住んでいる。 表向きは小唄の師匠か何からしいが、実は旦那取りをしている。それも、定まった一人の旦那を守っているのでは無いらしく、大勢の男にかかり合って、一種の淫売地獄同様のみだらな生活を営んでいるのだと、長屋じゅうではもっぱら噂されていた。
そのお津賀のところへ、稀にたずねてくる五十くらいの男がある。 「あたしの叔父さんで、一年に一度ずつ商売用で上州から出て来るんだよ」 と彼女は云っているが、どうも言葉の訛りが上州者ではない。又、ほんとうの叔父さんでもないらしい。
「それも、例の旦那の一人だろうさ」 と、長屋じゅうの者には認められていた。
四、五日前の夕方、その「叔父」という人が久し振りにたずねて来た。 あいにく、お津賀はいなかった。 お津賀はだらしない女のくせに用心深く、外へ出る折には表の戸にしっかりと錠をおろしてゆく。だから、叔父ははいることが出来なかった。
うす暗い門口にぼんやりと立っている男の姿を気の毒そうに見て、井戸端から声をかけたのが、この女房であった。
「黙っていればよかったんですがねえ。つい、『お津賀さんの帰るまで、隣の家へはいって待っていたらどうです』と教えてやったんですよ」
となりは富蔵の家である。 かれは戸をあけ放したままで、町内の銭湯へ出て行った留守であった。 奪られるような物のある家では無し、殊にその男の顔も見知っているので、女房も安心してそう教えたのであった。 すこし酔っているらしい男は礼を云って隣りへはいり、上がり框に腰かけているらしかった。
そのうちに、三味線をぽつん、ぽつんと弾き出した音がきこえた。 かれはお津賀の家へ来ても時々に三味線を弾くことがあるので、女房も別に不思議には思わないで、自分の米を磨いでしまって家へ帰った。
「それからが、騒動なんですよ」 と、女房は顔をしかめて話した。
「富さんの家で、何か『どたん、ばたん』という、獣が暴れるような物凄い音が聞えたんです。どうしたのかと思って駆けつけてみると、富さんは湯あがりの頭から、ぽっぽっと湯気を立てて、その叔父さんという人の胸倉を掴んで、そりゃあひどい権幕で何か掛け合いを付けているんです」
「なんだい、いったい」
「だんだん訊いてみると、その人が富さんの猫を撲ち殺しちまったという一件なんです」
「なぜ殺したんだろう。だしぬけに踊り出したのかえ」 と、半七は訊いた。
「そうなんですよ。踊り出したんですよ」
女房の説明によると、こうである。 富蔵は、自分の飼っている白い仔猫に「踊り」を仕込むために、残酷な調練をしていた。 まず、長火鉢に炭火をかんかん熾す。その上に、文字焼でも焼くような、薄い銅の板を置く。 その銅の板が焼け、ちりちりと音を立てる頃を見計らい、仔猫の胴中を麻縄で縛る。 縄の先は天井の梁から下げ、火鉢の上に吊りさげるのだ。 四本の足が、丁度その熱い銅の板を踏むように、高さを加減する。
板は焼け切っているから、猫はその熱いのにおどろいて、思わず前後の足を代わる代わるに、ひょい、ひょいと揚げる。 「熱い、熱い」と、まるで踊っているかのように。 それを待ち設けて、富蔵は爪弾きで三味線を「ちん、とん、しゃん」と弾き出すのである。
勿論、はじめのうちは猫の足どりを見て、こっちで巧く調子を合わせて行かなければならない。 それがだんだんに馴れて来ると、猫の方から、三味線の調子にあわせて前後の足をひょいひょいと揚げるようになる。 更に馴れて来ると、熱い銅板の上でなくとも、普通の板や畳の上でも、三味線の音がきこえるだけで、あの熱さの苦しみを思い出し、条件反射で自然に足をあげるようになる。
観世物小屋で囃し立てる猫の踊りは、皆こうして仕込むのだという。 富蔵も、ふた月ほどかかって、ようやくこの白猫を馴らしたところであった。




