残影の囁き
カチ…カチ…カチ…
カチ…カチ…カチ…
カチ…カチ…カチ…
…
家で唯一の時計が夜10時を告げる…
路地の闇がますます濃くなる…
…
「ハルと星間さんがなんでこんなに遅いの?」レンが時計を見上げる
「もしかして……迷子になったんじゃない?」
「誰でもお前みたいに方向音痴だと思うなよ、レン!」ネネが腕を組んで立つ
「誰がわかるかよ、ハルの忘れっぽさ知ってるだろ…」
「でも星間さんが一緒なんだから、大丈夫だよ」シノミが玄関の方を見る
…
「それが心配なんだよ。二人はハルが女の子にどんな影響与えるか知ってるだろ…」レンが空を指差して、もう片方の手で顎を支える
「それに、星間さんがハルを世話する様子見てたろ…」
「今頃二人は……」
…
シノミがぼーっと天井を見上げ、二人がしてるかもしれない想像が頭に響く
…
「わわわわっ!」シノミが両手を振り回して幻を追い払う
「レン、本気でハルがそんなことすると思うの?」ネネがレンを睨む
「2年以上一緒にいて観察した結果の推測だよ…」レンが両手を頭の後ろで組む
…
はっ…
「でも、こんな行動はいつものハルらしくない…」
「よし! 今から探しに行く! みんな家で待ってて!」レンが玄関に駆け出す
「私も行く…」シノミがすぐ後を追う
「十神さんのこと心配なんだね?」ネネがシノミの肩を掴む
「…でもダメ! 今はもう遅いんだから、女の子が夜中にうろつくなんて何が起こるかわからないよ!」
…
と、こと…
「大丈夫よ…」突然人影が近づく
「三日月さん、どういう意味ですか? なんで大丈夫なんですか?」ネネが厳しい目で三日月さんを見る
「この数日だけは…この街で…誰も危ないことはしないわ…」
「だから安心して行きなさい…」
「でも…」ネネが三日月さんに近づく
…
「家主がそう言ってるんだから、ネネ! じゃあ俺たち行ってくる!」レンが手を振って街へ飛び出す
「ここは任せたよ、ネネちゃん!」シノミが軽く頭を下げて走り出す
「もう…信じられない! 好きにしなさいよ!」ネネが手を振って二人を見る
………
電灯が消えた街で…
ただ孤独なろうそくの灯りと月明かりだけが…
…
「田中さん、あっち行って! こっちは俺が探す!」レンが夜の街に向かって、川とは逆を指差す
「うん、そっちお願い!」シノミが手を振って、川の方へ灯りを向ける
………………………………………………………………………………………………………………
とた…とた…
ぱさ…ぱさ…
…
「おい! ハル! どこだよ!」レンが走りながら周りをキョロキョロ
…
「早く出てこい! 帰るぞ!」レンの目が路地を忙しく見回す
…
そして真っ暗な夜に…弱い月明かりに…一つの人影が現れる…
…
ドン!
ドサッ…バタッ!
二つの体がぶつかり…互いに弾き飛ばされる
…
「うわ痛っ…」レンが腰をさする
「結局何にぶつかったんだ?」目を細めて影を見る
…
月明かりが徐々に照らすと…腕にギプスをした男が現れる
手に半分空いた酒瓶…服に挟まった写真…
…
「ちゃんと前見て歩けよ! 目が悪いのか!」男が酒瓶を振り回す
「すみません! わざとじゃないんです! 暗くて何も見えなくて!」
「は? 何言ってんだ? わざとじゃないってどういうことだ?」男が何度も頭を下げるレンを見る
…
「この顔…」
へへへっ…ぎゃははっ!
「お前かよ! 誰かと思ったら!」男がレンの背中を叩く
…
「ちょっと待って、おじさん…」レンが目を丸くする
「ったく、すぐ忘れるなよ」
「俺だよ! この前戦場で機体をくすねた奴だよ!」
…
「すみませんでした!」レンが頭を下げて腰を折る
「あの時は若気の至りで考えが浅くて…」
「いいよいいよ! もう過ぎたことだ…」男が手を振る
「むしろお前のおかげで俺は今ここにいるんだ」
「せっかくだから、一緒に一っ走りするか?」
「でも友達を探してて…」
「探しながら一緒に歩けばいいだろ…」男がレンの肩を抱いて引っ張る
………………………………………………………………………………………………………………
こつ…こつ…
ぱたっ…ぱたっ…
…
暗い夜に…月明かりだけが道しるべ…
川沿いのろうそくの列と逆へ…頭を下げた顔たちを回り道で…
…
「ふう、ちょっと休むか。あっちの川岸で!」男が川岸を指す
「はい、わかりました」レンがゆっくりついていく
…
月光が湖面に反射してきらめき…ゆっくり流れる灯り…
男が座り…目を細めて…
酒瓶を握り…頰を赤らめて…
…
「じゃあ、お疲れみたいですし、俺先に行きます!」レンがゆっくり後ずさる
…
くいっ!
「待て…」男がレンの袖を掴む
「すぐ行くなよ…」
「でも急いでて…」レンがまだ後退する
「お前まで…
…そうなのか…」男がゆっくり手を離す
…
「お前まで…
「俺を…捨てる気か…」男が顔を伏せて呟く
「彼らみたいに…
…か…
「わかってるよ…
…俺のせいだろ…
…この役立たずのジジイのせいだろ…」
…
ガシャァン!!
ガラスの破片が飛び散り…酒があちこちに…
水の跡が濃く残り…橋の欄干に染み…
…
「行け…行けよ…!」男が突然手を振る
「行け…
くそくらえ…!
みんなが…いつもやるみたいにな…」男の目が赤くなる
…………
レンが足を止め、体が固まり、目が離せない
「あの人たちは…どういうこと…誰が捨てたんですか?」レンが男の服の肩を掴んで揺する
「教えてください! 何があったんですか?」
…
…
「は? 何言ってんだ? 誰も俺を捨ててねえよ!」男がレンの手を払う
…
「まあいい、聞きたいなら話すよ…」男が腰の酒瓶を取り出す
…………
「昔の話だ…俺が部隊にいた頃…
俺たちは終盤にこの戦争に参加した…もう終わりが見えてた頃…
ああ…素晴らしい時代だった…
敵が次々攻めてきて…俺たちは突っ込んで…
結局いつも勝ってた…
…
ゴクッ…
男が酒瓶を傾けて一口…
…
「でも…協定が結ばれた…Sea and Soilの何か…」男が頭をかく
「Accord of Sea and Soilですよね?」レンが顔を上げる
「そうそう…あのクソ協定…
海産物と鉱物の採掘禁止の協定が何の関係が?」
「それがお前らの…習うことか…?」
「やっぱりお前ら…まだ若いな…」男が胸を叩く
…
「よく聞け…あの協定で人類は負けを認めたんだ…
戦場にいた俺たち全員…わかってた…
人類は…勝ってた…俺たちは…勝てた…
特にあの人が…伊狩さんが…俺たちと一緒にいる限り…
…
ゴクゴク…ゴクゴク…
「でも全部変わった…ある女のせいで…」男が酒を続ける
...
「あいつが伊狩さんを…戦う気を失わせた…
あいつのせいで…武器を下ろした…
…
俺たちは信じられなかった…信じたくなかった…
でも伊狩さんとあいつを見て…もしかしたら…共存できるかもと思った…
伊狩さんとその女が…二つの世界をつないだ…
そして一瞬…俺たち全員が…二人と一緒に笑ってた…
…
「どういう意味ですか?」レンが見上げる
「言葉のままだよ…ガキ…」男が空を見上げる
…
「伊狩さんとその女…
一度は…俺たちが肩を並べた…
一緒に祝った…
そして海と陸が…怪獣に団結して立ち向かった…
…
「でも…奴が現れた…本物のクズ野郎…」男が顔を伏せる
「金とコネだけで…あの女を奪った…
あの時がなければ…奴のせいじゃなければ…
奴がいなければ…俺たちはこんなことには…」男が立ち上がる
…
「あの日…一体何があったんですか?」レンが目を丸くして見る
…
「あの日…俺たち全員が…見たんだ…
俺たちの部隊も…敵も…目の前で…
あの卑劣な野郎が…女を犯して…止めてくれって叫びを無視して…
…
「そして伊狩さんが…体中から血を流して…6本の槍に突き刺されて…
あの日…海が怒り…全てが破壊された…
俺たち…生き残ったのは…伊狩さんが俺たちを先に会わせてくれたから…
………
ぽん…
「そんな…」レンが男の肩にそっと触れる
「俺…知らなかった…」レンの両拳が握られる
…
「いいよ…気にするな…お前らが知らなくても…
それは伊狩さんの…新世代への遺志の一部だから…
…
「知ってるか…
政府はあのことを知って…伊狩さんを糾弾した…
人類の裏切り者…女のために全てを捨てた奴だと…
そして一瞬…俺たちもそう思った…」男が顔を伏せる
……..
「俺たちは協定後に帰還した…
何事もなかったように…
全てが続いた…
…
寒い夜の見張り…凍える空気で…熱い茶を…
寒い夜…毛布を共有して…暖め合って…
湿った日…山道を越えて…見張りに…
暑い日のきついランニング…
小さな画面で…スポーツ観戦を…
酔っ払って…隊長に怒鳴られる日々…
あああの頃…
…
ゴクゴク…ゴクゴク…ゴクゴク…
酒瓶が半分以上空く
…
「最近の攻撃まで…」男の拳が握られる
「俺たちは思わなかった…海がまだ静まらないなんて…
誰も知らなかった…あんなものが来るなんて…
…
「あの瞬間…俺たちは顔を見合わせた…
あの時…行動してれば…今こうなってたか…
あの時…あいつを一人にしなければ…未来はどうなってたか…
…
「そして俺は…あの瞬間に死ぬはずだった…
あのバカ野郎がいなければ…
あの青い光は…俺たちを一緒に連れて行ったはず…
尊敬する隊長に…会いに行けたはず…
……
しゃり…
男が服から写真を取り出す
「今…俺が…どうやって帰れる…」男の目に涙が溜まる
…
「これは…」レンがこっそり見る
小さな家族…妻が子を抱き…男が二人を抱きしめて…
んっ!
「この女性…俺知ってる!」レンが跳ねる
「おじさん、この人知ってる! ついてきて!」レンが男の服を掴む
「本当か! 知ってるのか!」男が目を剥く
…
「知ってるなら教えてくれ! 早く!」
「どうなってる? ちゃんと暮らしてるか?」
「まあまあ大丈夫そうですよ、俺が見た限り…」レンが顔をかく
…
ふっ…
「そうか…よかった…本当によかった…」男が地面に崩れる
「でもここで聞くより、早く会いに行きましょう…
きっと待ってるはずですよ!」
…
「俺は…
帰れない…
でも…
お前にはわからん…俺みたいな奴が…帰る権利なんてない…
あの日に…消えるはずだった…
隊長…十神・伊狩さん…俺はどうすれば…」男の目が川と灯りに向く
…
レンが体を固くし、目を見開き、手を伸ばしては引っ込める
十神・伊狩…亡くなった人…
そして頭に響くもう一つの名前…十神ハル…
………
カチ…カチ…カチ…
水の波紋が灯りを押し分け…ろうそくが川の中央を避ける…
そして一瞬…巨大な黒い塊が…現れる
…
どたっ!
「これは…ありえない…」男が跳ね起きる
「どうして…ありえない…」男の目が見開かれる
…
カシャン!
持っていた酒瓶が落ちる…
ガラスの破片が飛び…酒が草に染みる…
……
「ガキ、俺について来い! 早く!」男がレンの手首を掴む
「何…何事ですか…」レンがよろめきながらついていく
…
ばたばた…ばたばた…
「急がないと…もっと急がないと…
おじさん…一体何が…」レンが見上げる
「ガキ…あいつらがここにいる…もう大変なことになる…」男の目が見開かれる
…
「今回は…今回は…」男の拳が握られる
「させるか…お前らに…また奪わせるか…
もう…一番大事な人を…失わせない…」




