闇空を覆う雲のその向こうへ
……………..
「もしもし?...... 誰かいる?」
視界いっぱいに広がる濃い霧の中、完全に知らない空間。
俺は立ち尽くし、辺りを見回した。白い霧と雲海だけ。
…
シュプッ…
…
一歩踏み出してみる。足元を見ると、そこら中が水面だった。
…
チャプ…シュポッ…フワッ…ジュプ…
歩き、歩き、歩き続けて、そして俺は凍りついた。目の前に人影。
…
「お前は誰だ?」俺は遠くの黒いマントの背中に指を向ける
「俺が誰か……そんなに大事か……?」背中が軽く振り返るが、顔は見せない
「当たり前だ! 知る必要がある……」俺は両手を前に出し、腰を少し曲げた
「さっきまで俺はあそこにいた……篠見を抱いてて……蓮が横を走ってて……黒鉄さんたちのグループも……そしてあの怪物も……」
体が止まり、頭を下げ、額に手を当てる
…
「あの怪物……みんな……みんなはどうなった?」俺は黒い背中に駆け寄る
「蓮は? 黒鉄さんたちは? 煌花も……」
…
「そして……篠見は……まさか……?」俺はそいつの肩を掴む
…
「すべては終わった……」そいつの手が俺の手の上に乗る
「君が心配していたもの……もう必要ない……」
…
「そう……なのか……?」俺は後ずさり、手を離す
「ありえない……ありえない……あんな化け物が……」
…
「まさか……」
「本当にそうなのか……? まさか全部……ただの……」
「……作り話だったってことか? それが君の言いたいことか?」背中が少しだけ振り返る
「……他に何がある! そんなわけないだろ!」俺は腕を強く振る
「こんな巨大な化け物が……みんなを……そのままにしておくはずがない……」
「だったら自分で確かめてみろ」男は霧の中の一点の光を指す
「それは……」俺は目を凝らす
「……君が探している答えだ……」
「だが……一つだけ覚えておけ……」男が光の前に立ちはだかる
「何を……何を覚えておかないといけない……?」
…
ジャブッ…チャプッ…ポチャッ…
「これを見ろ!」男が湖面の水を掬い、俺に差し出す
水面に映像が浮かび上がる
……………………………………………………………………
ザーザー…ジャージャー…
ヒューヒュー…ビュウウウ…
バシャバシャ…ジャバジャバ…
真っ黒な空、叩きつける雨、風に踊る波、黒い海と白い泡
…
バリバリ…ドーン!ズドーン!
雷が空を裂き、空間を白く染める
そしてその中に、二つの巨大な影
…
俺は目を細め、顔を近づける。そして目の前に
…
ゴォォォォ…
長い巨体が触手に巻かれながら必死に暴れている
…………
「これが……俺と何の関係が……?」俺は男を見上げる
シュュュッ…
「見るだけじゃない……聞け……」男の視線は水面から離れない
「見るだけじゃない……感じろ……」
…
俺は固まり、もう一度映像に目を落とす
…………
「やめて……お願いだからやめて……これ以上は……」映像から声が漏れる
………
「人の声……? どこから……」
俺は必死に水面を探す
………
「お願い……もう十分……もう十分すぎる……」また声
ズドーン!
雷が闇を裂き、長い巨体の姿がはっきり浮かぶ
………
「あれは……龍……? でも……そんなのただの空想のはず……」喉が凍る
……………………………
クフフフフ…キャハハハハ!!
闇の中から触手に絡まりながら女が浮かび上がる
…
「これが愛だよ……見えない?」女は龍の口を掴み、唇に指を這わせる
「違う……違う……これが愛じゃない!」龍が睨み返す
「お前は分からないのか……お前がやっていることは全部……」
…
「俺はお前を信じた。受け入れた。一緒になろうとした……」
「でもこれは……」
「これ全部……愛じゃない……」
「お前は分からないのか……それとも分かろうとしないのか……」
「俺はお前を愛してない……俺たち誰も……」
「そしてお前……お前の一族はみんな……本当の愛なんて分からない……」
……
…...
フフフフ…ギャハハハ!!
「あなたには分からないのね……私の気持ち……」女が後退り、拳を握り、体を震わせる
「何度も何度も……何度も何度も……」
「……何度も何度も……何度も何度も……」
……
「届かない魚に向かって必死に泳いでるあなたを見るのが……!」女が龍を真っ直ぐ見据える
「ずっと遠くから見てるしか許されないのが!」
「戦って、倒れて、弄ばれて……」
「そしてその魚は結局、権力と金と欲望しか求めてない女だった!」
「その苦しみの先に……あなたに何が残るの……」
…
しくしく…こくっ…
龍の目から涙がこぼれる。巨体が暴れるのを止める
…
「ねえ愛しい人……もう悲しまなくていい……」女が近づき、龍の頬に触れる
「あなたはもっとふさわしいものを……」
「もう終わった……これからは私が全部守る……」
「誰もあなたを傷つけられないように……」
「誰も……二度と……」
…
「あなたは永遠に私のもの……」女が龍の顔に唇を寄せる
「違う……俺は……」龍が爪を動かそうとする
「……私のもの……今のあなたも、未来のあなたも、そして……」女の目がこちらを向く、耳まで裂けた笑み
…………
ドカッ! ズズッ… グイッ…
巨大な岩がバチバチと右翼に直撃、触手が揺れる
龍が落下
…
グルル…プンプン…ガルル…
「誰だ……誰だアアア!!」女が頭を抱える
八本の触手が狂ったように振り回される
「俺たちの愛を邪魔するヤツは誰だアアア!!」
「俺だ……覚えてるか……このクソ女……」角の生えた巨体が現れる
「お前……お前……でもどうして……」
「俺はお前が殺したはずだ……この目で……この手で……」女が硬直
…
ドンッ…ズシッ…トンッ…ドスッ…
「お前、俺たちを舐めすぎだろ?」角の男が龍に近づく
「大丈夫か相棒? ひどい目に遭ってたな……」角の下に笑み
「お前……でもどうして……俺は見たのに……」
「まあ後でいい。今は安全な場所へ」男が龍を背負う
…
「お前は何をする気だ……俺たちの間に割り込む気か?」女が体をくねらせる
…
「陸の獣が……舐めた口を……」
「一度殺した。また殺してやる!」
「確かに一度は負けた……だが二度目も負けるとは限らない」男の背後で無数の赤い目が光る
……………………………………………………………………
ドパーン!
「さて……もう分かったか……?」男が水を全部こぼす
「分かるわけないだろ! 何が分かるって言うんだ!」俺は腕を振り、そいつの背中から目を離せない
…
「まだ早いのかもしれない……だが……」青い瞳の男が俺をまっすぐ見る
「あいつ……あいつの血筋が……近づいている……」
「今度は……どんな手を使っても……君を……俺たちを……手に入れる気だ……」男の姿が霧に溶ける
…
「あいつって誰だ! 何が目的なんだよ!」俺は追いかける
…
「待て! 待てって!」
「曖昧なこと言うな! 誰が分かるかよ!」周囲がどんどん明るくなる
………
「覚えておけ……これが最後のチャンスだ……」
「俺たちが果たせなかったことを……完遂しろ……」
…
「そして気をつけろ……奴らは全部知っている……」
マントがはためき、顔に傷、青い鱗、白い牙が一瞬見えた
………………………………………………………………………………………………………………
ゴロッ…ザッ…ギュッ…コロコロ…
朝陽が窓の隙間から差し込み、疲れた車輪の音
…
ふあ…ん…のび…ごろ…
体が石のように重く、動けない
目が細め、視界がぼやける
手を伸ばすと、何かにぶつかる
…
ぐー…すー…
温かくて柔らかい……マシュマロみたい……でもちょっと違う
もう少し上に手を伸ばすと、硬くてサラサラしたものがたくさん
…
「篠……見……?」
篠見が俺にぴったりくっついて、腕を枕にして、笑顔で寝てる
…
「やっぱり……夢か……また夢だ……さっきと同じ……」俺は頭を後ろに倒す
「こんなこと……するわけないよな……」片手で目を覆う
「所詮……幼なじみ……それだけだもんな……」
…
「でも……もし夢なら……」残った腕でぎゅっと抱きしめる
…
「……好きだって言うし、プロポーズもするし……」小さな声が聞こえる
「それから二人で式を挙げて、家を買って、飾って……」
「夜はもう誰も邪魔しないから……」
きゃはっ!
…
「この声……」俺は顔を上げる
目の前で女の人が真顔で立ってて、二人が口を押さえてヒソヒソ
「春、続き続き!」蓮が手を下ろしてニヤニヤ
「そうよ十神さん! 次はどうするの?」石若さんもニヤニヤ
「抱きしめる? キス? それとも……?」二人同時に
きゃはっ!!!!
「春ってやっぱりエッチな頭してるよね〜」蓮がニヤリ
「十神さん、それはダメですよ? でも責任取るなら別ですけど……」石若さんがチラ見
…
「二人とも……やめろって!!」俺は慌てて篠見を下ろし、顔が真っ赤
「俺たち……そういうんじゃないから……」
「何言ってるの〜もうバレバレだよ春〜」蓮が肘でつつく
「言っただろ違うって……」
「いいじゃない十神さん、みんな知ってるわよ。星間さんだって」
「石若さんまで……」
…
コホンッ!
「若者たち、ここまで。まだ療養中の者がいる」黒鉄さんが歩み寄る
「それに着いてからいくらでも話せる」
「はーい!」蓮と石若さんが揃って
「でも春くん……」黒鉄さんが肩に手を置いてニッコリ
「男ならハッキリしないと、取られちゃうよ?」
「黒鉄さんまで……」俺は遠ざかる背中を見送る
……
「十神様」
「煌花、どうした?」
「次の場所で……これからの選択を……よく考えてください……」
「どういう意味だ……煌花?」俺は目を離さない
…
「おい春!」蓮が横に座って肩に腕
「いつの間にそんな仲に?」蓮が指で頬をつつく
「それは……」俺は手をバタバタ
「初対面なのに名前呼び!」
「しかも様付けで呼ばれてる!」
「言えよこの女たらく!」
「お前何したんだよ!」蓮が顔を近づける
…
「俺たち本当に何も……ただ知り合いなだけだ」俺は蓮の顔を押しのける
「な、煌花……さん?」
煌花が顔を覆って耳まで赤くなる
「そんな……ひどいですよ……十神様……」
「素敵な時間を過ごしたのに……」
「今さら……全部責任を取らないなんて……」煌花がお腹に手を当て
「それに……冷たい呼び方……」
「体が触れ合った時……名前で呼ぶって約束したのに……!」煌花がプイッと横を向く
…
ギュッ!
「へぇ〜そうなんだ〜春〜やったな〜」蓮が肩を締める
「違うって! 蓮、本当に……」俺は手をバタバタ
…
ギュッ!
「どういうことですか十神さん? 篠見ちゃんを裏切って他の女と……?」石若さんも反対の肩を掴む
「違うって! 誤解だ……」俺は首を振る
「な、煌花さん?」三人で煌花を見る
…
……もう…どうしていいか…わかんないよ……ひっ……
煌花がハンカチで目を拭く
「酷いです十神様……まさか薄情な男だったなんて……」
…
ガシッ!ギュッ…ギリッ…
「ここまで来たらどうする? ねね」
「決まってるでしょ蓮」
「二人とも……落ち着け……」
…
「言い訳無用! クソ野郎!」二人同時に
「ここまで来たら教育し直しだ!」
「勘弁してくれ……本当に誤解だって……」
………………………………………………………………………………………………………………
すぐ横で騒ぐ三人の横で、もう一人の少女が真っ赤な顔を隠していた
三人が離れると
「知ってましたよ。ずっと起きてたこと。田中さん」煌花が肩に触れる
「星間さん……いつから……」篠見が顔を上げ、耳まで赤い
「最初から……十神様に触らせようとジッとしてた時から」
「じゃあ……全部……」
「ええ、全部……お写真もありますよ? 欲しい?」
ぎゃっ!
篠見が両手で頬を叩く
…
「田中さん、一つだけ聞きたいんですけど」
「はい……」篠見が指を絡める
「十神様のこと、どう思ってるんですか?」
「わ、私……十神くんはすごくいい人で……」
…
「それだけ?」
「私……」
…
「だったら私がもらっても文句ないですよね?」
…
「ダメです!」
「ダメ……春くんは……私の……」
…
「分かりました!」煌花が立ち上がる
「安心してください。私たちにそういう関係はありませんから」
篠見が顔を上げる
…
「約束の写真です。記念にどうぞ」煌花がカメラを渡して去る
篠見は固まり、顔がさらに赤くなり、指が連打
「これ……これ……これ……」
……………………..
「これが今の世代の決断か……」煌花が振り返る
「中途半端な覚悟じゃ、いずれ先祖と同じ末路よ……」
…
「やっぱり十神様は……あの子とその血筋の側にいてはいけない」
………………………………………………………………………………………………………………
騒ぐ二人と恥ずかしがる二人の呟きの間で
「もういい加減にしろ! 静かにしろ!」玲奈が前の席から叫ぶ
…
「先生……なんでここに?」俺が前を見る
「私も同じこと聞きたいわ春。誰も教えてくれないし、ねねも」蓮が石若さんを見る
「私……何も知らないから……聞かないで……」石若さんが目を逸らす
「今はそれどころじゃないわ、十神さん」
…
「本当に大事なのは……前にある……」玲奈がハンドルを握り締める
…
「街だ!!!」
「やった! やっと脱出だ!」みんなが笑顔に
「やっとまともな飯が食える! ラーメンこぼれそう!」蓮がヨダレ
「蓮は食い物しか頭にないの? 化粧品とか薬とかSNSとか……」
「久しぶりにネット見たい!」
「それ言う? ねねも同じじゃん」
「女の子の話だから! ね、篠見ちゃん?」
「うん……ちょっと長いこと……」篠見が髪に触る
……
一瞬だけ俺は周りを見回した
みんな笑顔なのに
軍服の人たちは全員俯いて、誰も口を開かず、手を握り締めている
…




