前編
「……先生からの話は以上だ。では、よいお年を。」
「きりーつ、気をつけ、礼!」
「「「ありがとうございました!」」」
12月24日の昼前の事である。
この瞬間、千葉県立第一高校1年A組の面々は終業式とホームルームを終え、長い2学期から解放された。明日からは待望の冬休みが始まる。
「みんな、この後クラスでカラオケに行かないかい?」
ほとんどのクラスメイトが解放感に満ち溢れてたから、クラス一の人気者でもある学級委員長、入谷俊介の提案に、クラスの多くが賛同の声を上げるのも当然の帰結と言えただろう。
ただ、1人の学生を除いては。
教室最後方の窓際に座っていた、黒いパーカーにボサボサ頭といういでたちの男子学生だけは、そんなクラスの喧騒をよそに、コートを羽織り、リュックを持ってさっさと教室を後にする。
そんな彼の姿を認めた、もう一人の学級委員であるナム・ジヨンは、彼を呼び止めようと声をかける。
「あ、青海くん。よかったら青海くんも……。」
え!? あいつを呼ぶの!? ジヨンと彼の周りのクラスメイトを中心にそんなざわめきも起きた中、「青海」と呼ばれた彼は一瞬ピクリと体を振るわせた。
続けて、ハイライトの消えた死んだ目でジヨンを一瞥すると、首を振って教室の引き戸を開け、廊下の向こうへと消えていった。
「あ……ダメかあ。」
少し残念そうな表情を見せるジヨンに、女子生徒2人が話しかけてきた。
「何やってんの。ジヨンちゃんも、わざわざあいつと関わることないって。」
「そうそう、誰かと一緒にいるとこも話すとこも見たことないし。」
「帰国子女だからって、調子乗ってるんじゃない?」
根暗で孤立し、誰とも話したがらない彼のクラス内での評判は、どうやら最悪と言えるレベルだったようだ。
「……違うよ。ちょっと気分転換させてあげたかっただけ。」
「何それジヨン、どういうこと?」
「私、小学校の時に、まだイギリスに行く前の夏希君と一緒のクラスだったことがあるんだけどね、その時の夏希君はとても明るい子だったんだ。」
「え、マジで?」
「ぜんっぜん想像つかない。」
ジヨンは、憂いの表情を浮かべた。
「でもね、9年前の丁度今日から、変わっちゃったの。その日にね……
一番仲の良かった女の子を、事故で亡くしちゃったんだ。」
*****
『京成電鉄をご利用いただき、ありがとうございます。この電車は、快速特急、成田空港行きです。次は、八千代台、八千代台です。八千代台の次は、勝田台です。途中の京成大和田には、停まりません……。』
京成津田沼駅を発車した8両編成の下り列車は、千葉線をアンダーパスしながら急カーブを曲がっていく。
青海も座席に座りながら、遠心力にその身を預けた。
朝からずきずきと痛む頭を片手でもみながら、周囲を見渡す。
「……。」
他の学校も終業式だったのか、まだ昼前の車内は多くの学生で賑わっていた。
遊びに行く約束をする女子学生たち。
たがいに身を寄せ合う学生カップル。
青海はそんなキラキラした学生たちから目を背けた。
目を背けた先には、有名テーマパークのクリスマスイベントの広告が張られていた。世界的に有名なカップルのキャラクターが、サンタクロースのコスチュームを身にまとい、いかにも幸せそうな雰囲気を醸し出している。
青海はそれも見ていられず、最終的に膝に抱えていたリュックサックに顔をうずめてしまった。
華やかなクリスマスも、幸せそうなカップルや友達も、彼は大嫌いだった。
ジヨンのカラオケの誘いを蹴ったのも、半分は今朝からの体調不良のせいだが、もう半分は彼のその捻くれた思いのせいであった。
……いや、今しがたそう書いておいておかしな話だが、大嫌いというのは少し表現が違うかもしれない。
……彼は「怖い」のだ。
暴力的なまでのクリスマスの喧騒が。
そして、人間関係を作るということが。
*****
『2番線、電車が発車いたします。ご注意ください。』
途中駅で一度電車を乗り換え、最寄り駅に戻ってきた。
しかし、その頃には夏希の体調はますます悪化していた。
頭痛がひどくなっているし、ぼうっとするし、それになんだか熱っぽい。
早く家に帰って、薬を飲んで寝ないといけない。
彼は荒い息をしながら、おぼつかない足取りで改札口を抜けた。
間の悪いことに、共働きの両親は2人とも外せない用事で遠くへ出張しているので、家には彼以外誰もいない。自分でどうにか治す外ない。
足はふらふらするし、頭はぼうっとするし、少し歩くたびに疲れて電柱にもたれてしまう。普段なら10分くらいで踏破する駅から家までの道のりが、遠く感じた。
そう、意識は朦朧としているものの、ちゃんと家には向かっていると思っていたのだが……。
「……!?」
気が付くと何故か近所の神社にやってきていた。
「……。」
乾燥した風が、誰もいない境内を吹き抜ける。
その冷たさに、彼はぶるりを身を震わせた。
……体調不良で正常な判断は下せない状況かもしれないが、何をとち狂ってこんなところに迷い込んでしまったのだろうか。とにかく、元来た道を戻って家に帰るしかない。
彼は踵を返し、先刻(無意識に)抜けたばかりの鳥居を、もう一度くぐろうとした。
そこから先の、彼の記憶は途切れている。