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 気がつけば、右上腹部に違和感があった。些細な痛みは、いつからだったのか思い出せない。朝になれば消え去る程度だったから、さほど気にとめなかった。


「また胃の調子が悪いな。」


 市販の胃薬を飲んで、仕事に向かう日々。それが、私の最期の日常になるとは想像すらできなかった。

 日常的に薬を服用していたが、症状は一向に改善しない。むしろ、体調は悪化の一途を辿っていた。朝の痛みが夕方まで残るようになり、やがて一日中続くようになった。


 体重計に乗る度に、数字が減っていく。右腰から大腿にかけて、鈍い痛みが走るようになった。腹部の違和感は次第に強くなり、全身が重くなっていった。時折、悪寒が襲い、夜には微熱を感じることも増えた。


 ついに職場で立ちくらみを起こした。同僚たちの心配そうな表情に囲まれ、上司に勧められるまま、近所のクリニックを受診することにした。


 白衣を着た医師が、穏やかな口調で症状を聞いていく。右上腹部を触られる度に、鈍い痛みが走った。


「海外旅行には行きましたか?」

「いいえ。」

「どこかの山や海にいったことは?」

「いいえ。ありません。」


 それからも質問は続いた。私の生活習慣や食事の内容まで、細かく尋ねられた。

 そして、採血から一時間ほど経った頃だろうか。診察室に呼ばれた。


「検査結果が出ました。」


 医師は画面に表示された数値を見つめながら、厳しい表情で話を始めた。


「好酸球という白血球の一種が著しく上昇しています。肝機能の数値も基準値を超えていますね。これは寄生虫感染の可能性を示唆しています。」


 寄生虫。

 その言葉の意味を理解するまでに、少し時間がかかった。


 …虫が私の体の中に住みついている?

 しかし、そんなことが、現代の日本で起こりうるのだろうか。


 特に私は、スーパーやコンビニで買ったものしか食べていない。

 また、外食といっても大手チェーン店を利用するくらいだ。 


 そして、なによりも、私は今住んでいる地方都市から出ていない。


 一体どこから?


「大学病院を紹介させていただきます。より詳しい検査が必要です。」


 医師の言葉に、私は黙ってうなずくことしかできなかった。

 

 翌日、紹介状を手に大学病院の消化器内科を訪れた。

 呼吸が徐々に苦しくなり、時折、咳が出るようになっていた。


 大学病院での検査は、想像以上に多岐にわたっていた。

 何度も採血され、様々な項目を調べるらしい。

 レントゲンでは胸を撮影し、エコーでは腹部を何度も丹念に確認された。


 検査を受けるたびに医師や技師の表情が険しくなっていくことが分かった。


「CT検査をしましょう。」


 造影剤という薬を注射され、大きな筒のような機械の中に入れられた。横たわっている間にも、呼吸は苦しくなり、喉の奥に何かが詰まったような不快感が増していった。


 数時間後、診察室で主治医が説明を始めた。モニターには、私の体の断層写真が映し出されている。


「肝臓の中に、複数の異常な構造物が確認されました。肺にも同様の病変があります。今日から入院していただき、治療を開始する必要があります。また、確定診断のために組織検査も行わせていただきます。」


 突然の入院宣告に、私は戸惑いを隠せなかった。


「今日からですか?」

「はい。既に複数の臓器に異常が見られます。今すぐに治療を始めるべき状態です。」


 その日のうちに個室に入院となった。

 白衣を着た医師が次々と病室を訪れ、様々な検査が行われた。

 夕方には点滴が始まり、抗寄生虫薬の投与も開始された。薬の副作用で激しい吐き気を催した。


 翌日、局所麻酔による生検が実施された。

 肝臓の一部を細い針で採取する検査らしい。


 そのまま、吐き気、痛み、痒みに耐えながらも、私は病室で過ごした。

 そして、三日後、結果が出た。


「芽殖孤虫症という診断になりました。」


 主治医は言葉を選びながら、ゆっくりと説明を続けた。


「極めて珍しい寄生虫の感染症です。既に肝臓、肺、そして筋肉にまで寄生が広がっています。この寄生虫は体の中で分裂して増えていく特徴があります。今日から入院していただき、すぐに治療を始めましょう。」

「先生。私は、いつ頃に良くなりますか?」


 私の質問に、医師は一瞬口ごもった。


「これまでどおりに駆虫薬による治療を行い、その効果を見ながら手術も検討します。ただし…完全な治癒は難しい可能性があります。」


 医師の言葉。

 その言葉に私は絶望を覚えた。完治しない。

 ということは、私はこのまま寄生虫に食われていくのか。

 それはどういうことなのか?

 死ぬのか?


 私は恐怖のあまり、それ以上の質問が出来なかった。


 私は入院したベッドで、これまでと変わらず痛みと戦っていた。

 点滴台に吊るされた抗生剤が、静かに滴り落ちていく。

 しかし、このまま治らない可能性について告げられた私の心は折れそうになっていた。


 そのまま、夜が更けていくにつれ、体のあちこちで奇妙な感覚が増していった。

 特に右足は、まるで別の生き物のように思えるほど膨らみ、皮膚の下で何かが蠢いているような錯覚に襲われた。


 睡眠薬を飲んでも、長く眠れなかった。

 白い天井を見つめながら、自分の体の中で何が起きているのかを考え続けた。

 見えない寄生虫が、この瞬間も増殖を続けている。その事実が、私の精神を蝕んでいった。


 週に一度のCT検査。

 結果を見る度に、医師たちの表情が暗くなっていく。

 新たな寄生部位が次々と見つかり、私の不安は深まるばかりだった。


 そして、入院から三週間が経った朝のことだった。

 突然の頭痛に襲われ、右半身の感覚が鈍くなっていった。

 看護師を呼ぼうとしたが、言葉がうまく出てこない。


 緊急検査の結果、脳への寄生が確認された。

 意識が朦朧とする中、主治医の説明が遠くから聞こえてくる。

 私の意識は、深い霧の中に沈んでいくようだった。


 今、私は集中治療室のベッドで、心電図の音を聞きながら横たわっている。

 時折、激しい発作が起き、意識が途切れることもあった。


 医師たちは必死に治療を続けてくれているが、この寄生虫は確実に私の体を蝕んでいるようだった。


 私の体の中で、未知の生命が次々と増殖している。

 もう恐怖さえ感じない。

 ただ、静かに訪れる終わりを待つばかりだ。


 心電図の音が、少しずつ弱まっていくように感じられた。

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