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ホーム

 私は最寄りの駅にいた。その駅は、地下鉄だった。


 この地下鉄の路線は都心の各駅を結ぶ重要な動脈だが、その割にホームドアなんてものもなかった。

 たぶん、古くからある駅で、壁面のタイルは補修の跡が目立っていた。ところどころ剥がれ落ちた箇所すらある。


 駅に設置されている空調の風が、地下特有の鉄臭い空気を運んできていた。

 ただ、この駅の天井の照明だけは新しく、この駅構内にLEDの白い光が落ちていた。

 おそらく、駅の設備は少しずつ更新されているようだが、ホームドアの設置までは行き届いていない、とそんな感じだろうか?


 私は長引いた残業を終え、ようやくここまでたどり着いた。

 先ほど到着した電車に乗ろうとしたのだが、すでに乗客で溢れかえっていて、とても乗り込める状態ではなかった。

 結局、次の電車を待つことにした。

 とはいえ、この時間の電車の発車間隔は、5分もないだろう。

 だから、このままいれば、あと数分後には次の電車が来るはずだった。


 私は列の先頭に立っていた。

 革靴の先が黄色い線に触れそうなところで、後ろには整然と人が並んでいた。

 朝の通勤ラッシュほどではないが、夜の帰宅時間帯で、ホームには多くの人が集まっていた。

 今日は、なんだかんだと残業をしていた。それでも、早く家に帰りたい一心で、会社に戻っての残務処理も急いでこなしてきた。


 私の後ろにいる会社員たちが、疲れた表情で電光掲示板を見上げているようだった。


 私も、どこか気疲れのような感じで、身体が重く、とても疲れ切っていた。

 足がだるく、早く座って休みたいと思う。

 電車に乗れば、少なくとも四十分は座っていられる。

 そんなことを思いながら、私はスマートフォンを片手に、動画をぼんやりと眺めていた。


 そうしていると、駅員のアナウンスが、まもなく電車が来ることを告げていた。


 そうしたとき、私の後ろでザワザワとした気配がした。私の後ろで、誰かが動いている。

 何かの足音がした。


「すみません、通ります。」


 せわしない声。

 その次の瞬間、背中に強い衝撃を感じた。

 予想外の力で、体が前に傾いていく。


「うわぁっ!」


 私が思わず、声を出す。

 前のめりに倒れ込む体を支えようとしたが、重心が完全に崩れていた。

 足がもつれ、バランスを失う。

 線路側に向かって転がり落ちる。

 目の前が回転し、世界が逆さまになる。


 私の体は宙に浮いていた。


 時間の流れが、まるでスローモーションのように緩やかになった。


 咄嗟に、私は何か周囲のモノを掴もうとしたが、周囲には掴めそうなものはない。

 私の手は、むなしく空を切っていた。


 そのまま私の身体は、ホームから先に落ちていく。


 次の瞬間。鈍い音がした。同時に鈍い衝撃が全身を走る。

 痛み。

 地面に落ちた衝撃のようだ。


 肺が圧迫され、息が漏れ出す。

 強く全身を打ったようだ。

 特に右腕と背中が激しく痛んだ。


「危ない!」


 誰かの声が耳に届いた。

 上を見上げると、ホームから何人もの人が、私を見下ろしていた。

 痛みとともに、意識がふらふらとしていた。


 目の前の景色が揺れている。


 視界が朦朧としてくる。頭でも打ったのだろうか。

 吐き気が込み上げてきた。


 そこで気づいた。私の状況が、さらに悪化していることに。


 私の足が、レールとレールの間に挟まっていた。


 一向に足が動かない。


 ふと見ると、足が変な方向に折れ曲がっている。

 身体を引きずろうとしても、折れた足ごと、ズボンが何かに絡まっていた。レールの継ぎ目か、それとも別の何かに。


 遠くから、列車の音が近づいてくる。コンクリートの地面が微かに震え始めた。

 ホームにいる人たちの声が、まるで水中で聞こえるように遠くから聞こえてくるかのようだった。


 私は必死で足を引き抜こうとした。

 でも動かない。

 気がつけば、私の顔を伝っている冷や汗が目に入っていた。

 しかし、それどころじゃない。


 列車のライトが、暗いトンネルの出口で小さな点になって見え始めた。

 それは刻一刻と大きくなっていく。金属がレールを軋む音が鳴り響く。

 ブレーキの音が轟音となって響き渡る。


 でも、この距離では止まりきれないだろう。


 私は全てを悟った。

 これが最期の光景なんだと。


 列車の重低音。けたたましい汽笛。レールを軋ませる金属音。


 私の視界いっぱいに、巨大な鉄の塊が迫ってきた。

 車輪とレールが火花を散らしていた。


 時間が止まったかのように、その瞬間が永遠に続くように感じられた。


 私は目を閉じることもできず、ただ、迫り来る運命を見つめていた。

 そして、眩いばかりの閃光が、私の視界を全て覆い尽くした。


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