シュレッダー
私の勤める会社は、完全なフルリモートだった。
オフィスこそあるものの、社員の大半は自宅で仕事をしている。
もちろん私もその一人だ。
三年前に購入したマンションの一室が、今では私のオフィスとなっていた。
エントランスを抜けた六畳ほどの書斎には、大きなL字型デスクを配置した。
デュアルディスプレイにWebカメラ、ノイズキャンセリングマイク。
在宅勤務に必要な機材は全て会社持ちだった。
今日も朝九時からプロジェクトの進捗会議が入っている。
上司とのオンライン打ち合わせはスーツが基本だ。
画面に映るのは、上半身だけとはいえ、気を抜くわけにはいかない。
いつもより早起きして、きちんとした恰好を整えた。
白いワイシャツにネイビーのスーツ。慌ただしく着替えたせいか、ネクタイの結び目が少し緩いかもしれない。
直そうと思ったが、もう一度結び直す時間が惜しい。
机の上には、先週のプレゼンでボツになった企画書の山が残されている。
新規プロジェクトの見積もり資料も混ざっている。これらの機密文書は適切に処分しなければならない。
先月、会社から最新式のシュレッダーが各社員に支給された。
まるでコピー機のような外観。十二分な重さ。
その真っ黒な外装に青いLEDが輝く、先進的にも見えるなかなか大型の機械だ。
処理能力は申し分なく、A4用紙なら一度に二十枚まで裁断できる。
価格は家電量販店で売っている個人用のものとは比較にならないだろう。
こんな高額な機械が本当に必要なのかと、最初は疑問に思ったものだ。
しかし、企業機密の保持は何より重要だ。
在宅勤務が基本の会社では、各社員の自宅でも確実な情報管理が求められる。
そう考えれば、この投資にも納得できる。
電源を入れると、独特の機械音が室内に響いた。
普段より大きな音が気になったが、故障とまでは思えない。
ただ、何かが違和感として残った。
一枚、また一枚と書類を送り込んでいく。
単調な作業の繰り返しに、早朝の眠気が忍び寄ってきた。
そんな時、不意に首元が引っ張られた。
「な、なっ!」
ネクタイの先端が、シュレッダーの刃に巻き込まれている。
咄嗟に後ずさりした私の判断が、最悪の結果を招いた。
その瞬間、首の締め付けがさらに強まったのだ。
右手でネクタイを掴むが、プロフェッショナル仕様と謳われた裁断力の前では、人の力など無力だった。
左手を伸ばしてコンセントを抜こうとしたが、僅かに届かない。携帯電話はテーブルの向こうに置いたまま。
もがけばもがくほど、酸素が足りなくなっていく。
セーフティによって、やがて機械は停止したが、既に手遅れだった。
首に絡まったネクタイは、私の命綱となって離れようとしない。
両手で必死にネクタイをほどこうとするが、もはや結び目なんてものではなく、まるで一本の縄のようになっていた。
一本の縄が私の首を絞めているのだ。
酸素を求めて、身体が悲鳴を上げる。
酸欠で判断ができない。
会議の時間まで、誰も私の不在に気付かないだろう。
マンションの防音性は申し分ない。隣人に異変が伝わることもない。
高価な機械は、まるで自らの仕事を誇るかのように冷たく沈黙している。
机上のデジタル時計だけが、容赦なく時を刻んでいく。
私の意識が闇の中へと沈んでいく直前、九時の会議開始を告げる通知音が鳴り響いた気がした。