洗剤
休日の朝。
アパートの一室で私は、溜まりに溜まった家事に取り掛かっていた。
一人暮らしを始めて三年目。IT企業で働く私にとって、実家暮らしの頃は母がやってくれていた掃除も、今では全て自分でこなさなければならない日課となっていた。
仕事に追われる日々で、正直なところ掃除は後回しにしがちだった。
残業や休日出勤も多く、自分の時間を作るのが精一杯。特にトイレは敬遠していて、便器の黄ばみは日に日に目立つようになっていた。
「もう、これ以上は放っておけないわね。」
ため息をつきながら、スマートフォンで掃除の動画を見る。
こんな私でも、SNSで見つけた掃除動画を参考にすれば、なんとかなるはず。
綺麗なトイレの映像に、私も何とかしなければと一念発起した。
二十代後半の私の生活は、仕事と趣味のソーシャルゲームに没頭するあまり、こういった家事がおろそかになりがちだった。
それでも、さすがにこの状態は目に余る。近々、友人が遊びに来る約束もしていた。
掃除道具を集めながら、狭いトイレに向かう。
普段は最小限の掃除用具しか持たないのに、今日は気合が入っていた。
キッチンの下にしまってある複数の洗剤を手に取る。
効果の違う洗剤を使えば、頑固な汚れも落ちるだろうと私は思った。
「さあ、徹底的にきれいにしてやるわ。」
やる気に満ちた声を出しながら、私はゴム手袋をつけてから、作業を始めた。
窓もない密室では、換気扇だけが回っている狭い空間だった。
その狭いスペースにある、便器に目を凝らしながら、塩素系漂白剤のボトルを手に取る。汚れとの戦いの幕開けだった。
便器の縁に塩素系漂白剤をかけ、スポンジでこすり始めた。少しずつ黄ばみが薄くなっていく様子に、私は小さな達成感を覚えていた。しかし、便器の奥の部分は、なかなか思うようにきれいにならない。
「こんなに頑固な汚れだったなんて。」
汗を拭いながら、私は洗剤の効果に不満を感じていた。
狭い空間で体を屈める姿勢も、徐々に疲れを感じさせる。
キッチンから持ってきた他の洗剤に目を向けると、酸性洗剤の文字が目に入った。
『頑固な汚れに!』
パッケージには、そうデカデカと書かれている。
これを使えば、もっと効果があるはず。そう考えた私は、二つの洗剤が混ざるように使用する。
ドバドバと贅沢に別の種類の洗剤を使用して、スポンジを手に取り、便器をこすり始めた瞬間、異変は起きた。
突如として、鼻腔を刺す強烈な臭気が発生した。
まるで化学実験室のような異様な匂いが、瞬く間に狭いトイレの空間に充満していった。
「これは、なに?」
私の声が震えた。目の奥がズキズキと痛み、視界が涙で濡れていく。
喉には激しい痛みが走り、呼吸するたびに胸が締め付けられる。
換気扇は回っているものの、狭い空間には間に合わない。
「おかしい、何かがおかしい。」
次第に息苦しさが増していく。慌てて立ち上がろうとしたが、めまいで体のバランスが取れない。
吐き気が込み上げてきて、胃の中が引っ繰り返るような感覚に襲われた。
もう、自分の体を支えることすらできない。
ドアに向かって手を伸ばすが、体が思うように動かない。
肺の中が焼けるような痛みで、まともな呼吸さえできない。
発生した塩素ガスが、私の気道を激しく攻撃していることに、この時やっと気が付いた。
「た、助けて…誰か…。」
かすれた声は、自分でも聞き取れないほど弱々しかった。
視界が徐々に暗くなっていく。床に膝をつき、そのまま横たわる。
もはや、身体の自由など利かないなかで、私の意識は完全に闇の中へと沈んでいった。




