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脆落 ー日常の最期ー  作者: 速水静香


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二段ベッド

 深夜。女子大生である私は、自室に一人いた。

 今、私は真っ暗な部屋で、重厚な木製の二段ベッドの上で横になっていた。


 隣室の音も聞こえず、この時間、誰もが眠りについているようだった。


 私がアルバイトを辞めて一週間が経っていた。

 そう、これからは就職活動に専念するためだった。

 大学は長期の休暇に入っていた。


 あと数か月の期間、私はスーツを着て、就職活動をするのだ。

 …どこか現実感のない。

 そう、私は思ったけれど、仕方がない。


 今、私が横になっているベッドは、実家から持ってきたものだった。


 重厚な木製の二段ベッド。


 小学生の頃から使っていた思い入れのある家具だった。

 一人暮らしを始めた時、引っ越し業者の人達の手を使って、何とか分解して運び入れたもの。

 その後は、なんとか組み立てなおして、今に至る。


 ああ、目覚ましアラームをセットし忘れていた。


 私は枕元に置いていた、スマートフォンを手に取り、いつものように画面を開こうとした瞬間だった。

 スマホが滑った。


「あっ。」


 スマホは、二段ベッドの隙間から床へと落ちていった。

 仕方なく、下段ベッドから身を乗り出す。床に這いつくばり、ベッドの下を覗き込んだ。

 奥の方で、スマホの画面がまだついている。

 手を伸ばすが、届かない。


 特に予定はないけれど、生活リズムを整えるために目覚ましだけは必要だった。


 私は、横になっていたベッドから身を乗り出してから、一番下のスペースへと入りこむ。


「もう少しだけ…。」


 ベッドの下に体を滑り込ませる。床を這いずり、重いフレームの下をくぐり抜けようとした、その時だった。


 ゴトッ。


 鈍い音と共に、背中に重みを感じた。上段を支える木製の支柱が外れ、ベッドフレーム全体が傾いたのだ。


「え?」


 咄嗟に体を丸めようとしたが、間に合わなかった。重いフレームが私を押さえつける形で落ちてきた。

 鈍い衝撃と共に、激痛が走る。

 

「ぎゃっ…!」


 悲鳴が漏れた。フレームの角が太ももを強く打っている。温かい液体が足を伝っていくのを感じた。出血しているのだろう。

 徐々に、事態の深刻さを理解し始める。ベッドフレームが崩れ、私の身体を完全に固定していた。

 呼吸はできるが、体の大部分が重い木製フレームの下敷きになっている。


 この二段ベッドは、私の体重をはるかに超える重さがある。

 女子大生の私一人で持ち上げることなど、到底できない。


 ましてや、今の私は下敷きになっているのだ。

 到底、持ち上げることなど、不可能。


 太ももの痛みが増していく。

 骨折しているかもしれない。

 動くたびに鋭い痛みが走る。血の気が引いていくのを感じた。


 私は両手で床を掻きながら、体を引きずり出そうとした。

 しかし、ベッドの重みは微動だにしない。

 むしろ動くたびに、腰から太ももにかけての痛みが増していく。

 骨を砕くような痛みに、冷や汗が滲んだ。


「誰か…誰か来て…。」


 声を上げてみたが、マンションの厚い壁がその声を吸い込んでいく。


 スマートフォンの画面が、ゆっくりと暗くなっていく。

 スリープモードに入ったのだ。

 体を伸ばしても、スマートフォンには届かない。


 ズキズキと脈打つ痛み。

 太ももから血が滲み出ているのが分かる。

 フローリングの床に、小さな血溜まりができ始めていた。


「落ち着いて…落ち着かなきゃ…。」


 自分に言い聞かせるように呟く。でも、この部屋を訪れる人などいない。両親との連絡などほとんどない。

 上半身を捻って、ベッドを押し上げようとする。

 でも指先がフレームに触れた瞬間、その重さに打ちのめされた。


 下半身の痺れが徐々に広がってきた。触れても、足先の感覚がはっきりとしない。血が止まらない。フローリングの床に滴る音が、異様に大きく聞こえる。


「助けて…お願い…。」


 声が震える。しかし、救いを求める私の声など、届くはずもない。


 深夜から明け方へと時間が進んでいることが、窓から差し込まれている朝日で分かった。

 太ももの痛みは鈍くなってきたが、それは良い兆候ではないことを私は理解していた。


 フローリングの床に広がる血の量が気になる。

 暗闇の中でも、その輪郭が見えた。骨折して血管を切ったのかもしれない。


「なんで…こんな…。」


 声を押し殺すように呟いた。

 目の前の消えかけたスマートフォンに手を伸ばすが、やはり届かない。

 その数十センチの距離が、今の私には越えられない壁となっていた。

 救急車を呼びたくても、電話をすることもできない。


 喉が渇く。

 水が飲みたい。

 でも、キッチンのペットボトルも手の届かない場所にある。


 太ももの痛みは、今や背中まで広がっていた。

 手足の感覚も徐々に遠のいていく。血の循環が悪くなっているのだろうか。


「お父さん…お母さん…。」


 思わず口から漏れた言葉。

 大学に進学してからというもの、まともに話していなかった両親。

 助けに来てくれる可能性はゼロに等しかった。


 深夜から未明へと進んでいく。

 スマートフォンの画面は完全に消え、今が何時なのかすら分からない。

 意識が朦朧としてきた。失血のせいだろうか。

 それとも疲労か。

 ジワジワと押し寄せる苦痛に、私は歯を食いしばる。


「このまま…死ぬのかな。」


 その言葉を口にした瞬間、現実感が襲ってきた。

 私が、こんな場所で命を落とすなんて。


 目の前がぼやけてくる。涙が頬を伝う。

 でも、それを拭うことすらできない。


 腹が鳴る。喉は渇き、頭も朦朧としてくる。

 体の痺れは、もう背中まで広がっていた。

 血は止まったのか、それとも私の意識が遠のいているのか。もう分からない。


 窓の外から、朝を告げる音が聞こえ始めた。

 新しい一日。でも、この部屋の中で、私だけが時間から取り残されたように、動けないまま横たわっている。


 やがて、意識が遠のいていく。

 誰かが気付いてくれるだろうか。

 でも一体、誰が?


 そんな考えが頭をよぎる中、私は意識を離していった。

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