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脆落 ー日常の最期ー  作者: 速水静香


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12/19

食事

 残業が続いた一日が終わり、疲れた体を引きずるように帰宅した。

 マンションの十二階。

 エレベーターを降りると、廊下は静まり返っている。


 普段なら隣室からテレビの音や足音なんかが聞こえてくるものだ。

 しかし、さすがに深夜零時を回った今となっては、静まり返っていた。


 おそらく、誰もが眠りについているのだろう。


 鍵を開け、暗い玄関に足を踏み入れる。

 靴を脱ぎ、スーツの上着を手近なハンガーに掛ける。


 私はキッチンへと急いだ。

 そこにある冷蔵庫から取り出しす。


 それは、冷凍食品。

 それもただの冷凍食品ではない。

 『匠の技 至高の一品』という冷凍餃子だった。


 その冷凍餃子は、老舗中華料理店が監修した逸品だった。

 スーパーの冷凍食品コーナーでは一際目立つ黒と金の高級感のあるパッケージ。

 値段は普通の冷凍餃子の二倍ほどしていたが、たまに自分へのご褒美として、私は購入していた。


 電子レンジに冷凍餃子を放り込む。

 そのまま、温めながら、スマートフォンで料理動画を眺めていた。


 電子レンジの動いている音が、殺風景なキッチン中へと広がる。


「あぁ、腹減った。」


 独り言だった。最近の私には独り言が増えた気がする。

 寂しさを感じると、人は独り言を発することが多くなる。

 そんなネットニュースの記事を思い出した。


 まあ、独り身だ。

 寂しくない、といえばウソとなる。


 しかし、それ以上に今の自分は、空腹を感じていた。


 ピピっ、ピピっ…。


 電子レンジの電子音が鳴り響いた。

 調理完了だ。


 そのまま、私は、皿に盛り付けた餃子を電子レンジから取り出す。

 白い湯気が立ち上がった。


 餃子の一つ一つが大きく、肉汁たっぷりなのが特徴だった。

 私はさっさとリビングのテーブルへ餃子を運ぶ。


 さっさと食べよう。


 私は皿をテーブルに置いた。

 その皿の横に置いた、スマートフォンは、まだ動画を再生し続けていた。

 私は動画を見ながらも、テーブルの上に置きっぱなしの箸を手に取った。


 そして、皿の上にある、一つ目の餃子を口に運んだ。

 薄い皮の中から溢れ出す肉汁が、舌の上で踊るかのようにじんわりと広がった。


 そのまま、二つ目も口に入れる。ああ、美味しい。

 三つ目の餃子を見つめながら、疲労で鈍った頭が働く。


「このくらいなら、一気に行けるか。」


 馬鹿げた考えだと分かっていた。

 しかし、疲れた時こそ無謀な挑戦がしたくなる。

 大きめの餃子を、噛まずに喉に押し込んだ。

 肉汁を含んだ柔らかい餡と、弾力のある皮が、喉の中で異様な存在感を放つ。


 その瞬間だった。喉が詰まった。

 餃子が詰まる。


 咳が出そうで出ない。


 咳をしようとしても、むせるような音がかすかに漏れるだけだった。


 これまでにない苦しみ。

 柔らかい餡が喉の粘膜に張り付き、皮が気道を塞いでいるのだ。


 慌てて水を掴む。

 冷たい水がわずかに喉を通ったが、それが逆効果となり、餃子の皮や中身がさらに奥へ押し込まれてしまった。

 喉の奥で、異物が完全に動かなくなる感触。


 息ができない。


 体が空気を求めて悲鳴を上げている。

 指で喉を掻き出そうとするが、餃子は届かない場所で完全に張り付いている。


 皮の弾力が、むしろ喉の粘膜に密着して、より強固な障害物となっていく。

 立ち上がろうとするが、パニックで足が思うように動かない。

 視界が揺れた。


 スマートフォンは、まだ料理動画を再生している。

 画面にはチャーハンを作っている。料理人が中華鍋を振っている様子が映し出されている。


 酸欠の中、体が空気を求めている中で、私は気がついた。


 スマートフォンで助けを求めよう。


 手を伸ばし、画面に触れる。

 暗証番号を入力する。焦ってしまい、私は何度も打ち間違える。

 ようやく画面のロックが解除され、緊急通報のボタンを押す。呼び出し音が、異様に長く感じられる。


「一一九番消防庁です。火事ですか、救急ですか。」


 女性オペレーターの声。

 どこか、遠い場所から聞こえてくるかのようだった。


 しかし、返事をしようとしても、喉からは空気すら通らない。

 かすれた音が漏れるだけだ。


 唾液が喉に溜まり、それすら飲み込めない。

 肉汁で湿った皮が、さらに喉の粘膜に密着していく感覚。


「もしもし、聞こえますか。」


 穏やかな声に焦りが混じる。必死でテーブルを叩いた。

 ドンドンという音だけが聞こえる。


「何か音が…。どうされましたか?もしもし。もしもし?」


 呼吸ができない、その一言すら伝えられない。


「…もし、答えれない状況でも、場所は表示されています。電話は、このままにしてください。」


 オペレーターの声。

 私は、なんとかテーブルを叩き続けた。

 もしかしたら、救助を求める合図として。通じるかもしれない。


 脈拍が耳の中で轟音となって響く。


「その付近まで、救急車を向かわせます。そのままお待ちください。」


 オペレーターの声が、まるで水中から聞こえるように遠ざかっていった。


 最後まで聞こえているのは、受話器の向こうのオペレーターの声。

 そして、料理動画から聞こえる音が続けていた。


 空気を求める肺の悲鳴。

 遠ざかっていく意識。


 私の 意識が霞む。

 深い闇の底へと沈んでいくような感覚を最後に、私は――。


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